採れたて本!【SF#01】

採れたて本!【SF】

「英米北欧」以外の翻訳エンタメ小説も、ドイツのフィツェックやフランスのルメートルたちのおかげで知名度が向上したが、彼らの作品は英米圏でも通用しそうな基本的センスと洗練度を有しており、文体レベルでのジビエ的な「お国柄」野趣にいささか欠ける面がなくもない。かといって、ガチのジビエ小説は得てしてオチもネタも「所詮はローカルレベル」な陳腐さで終わることが多く、読んで良かった! と真顔で言える可能性は低い。

 実はこの両者の中間にこそ、比較文化的な面白味を適度に漂わせた「通好み」な絶妙小説が存在する。そしてクジラと四足獣のジャスト中間形態の化石が極めてレアなのと似た理由で、そういう作品はなかなか訳出されないのだが、なんと今般『NSA』という逸品がドイツから浮上した。本作はスチームパンク的19世紀のあとに来る「インターネット戦略によりナチスが政権奪取したドイツ」の魑魅魍魎感あふれる日常を、ナチ体制側の情報技術者の視点で描く長編。いや超長編というべきか。上下巻合わせて千ページ超え。うち、真の知的興奮で脳が活性化するのはラスト百ページだ。

「長いが面白い」「面白さの割に長い」ドイツ人読者のスタンスは基本的に前者だ。なぜなのか。文化的背景のひとつにドイツ人の「手順を端折らない」特性がある。料理番組で「では、煮込んだあとの状態がこちらです」と鍋チェンジをせず、放送でちゃんと十五分ほどしっかり煮込んでみせる流儀、といえば良いだろうか。この心性の根源または延長上に、カントの『純粋理性批判』が存在する。本作も、暗号解読の場面など、基本原理の紹介で「あとは同様に」と流しても良さそうなところ、最後まで描いてしまう。

 が、もしこの長いトンネルのような900ページを突破すれば、それこそ他のお店では真似のできない特殊な感銘が待っている。本作は「もしネットが無かったらナチは政権奪取できたのか?」という議論が作中で展開したり、ナチのネット煽り戦術が現代ロシアの「ハイブリッド戦争」のやり口そのものだったりと、基本的に風刺小説めいた色彩が強い。が、暗黒のラストが映し出すのは「戦後数十年、機械的に反ナチ教育を刷り込まれた挙句、どこかの回線が発火してブチ切れた」ドイツ人の戯画めいた自画像に他ならない。実は著者も無自覚だったりするのかもしれないが、「ナチが大敗しても大勝利しても実は大して変わらない」ドイツ的心性のウラ問題を、わかる人にはわかる形で提示しているのが本書の妙味。甘口のナチ・エンタメに満足できない貴方にこそ、密かにオススメな逸品なのだ。

NSA

『NSA』
アンドレアス・エシュバッハ
訳/赤坂桃子
ハヤカワ文庫

〈「STORY BOX」2022年3月号掲載〉

『恋する検事はわきまえない』刊行記念対談 ◆ 直島 翔 × 村木厚子
週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.31 うさぎや矢板店 山田恵理子さん