採れたて本!【歴史・時代小説#02】
明治末の一九〇八年、木下杢太郎、北原白秋、長田秀雄、吉井勇、石井柏亭ら耽美派の芸術家が、〈牧神の会〉を結成した。宮内悠介の新作は、隅田川沿いの第一やまとで開かれる会合で語られる不思議な話を、〈牧神の会〉のメンバーが推理する多重解決ものの連作集である。
団子坂に展示された乃木将軍の菊人形に刀が突き刺されたが、番人は刀を持った客はおらず、犯行時間も分からないと証言した「菊人形遺聞」、浅草十二階が完成した直後、展望台から男が転落したが、自殺か事故かはもとより本当に事件が起きたかも判然としないという「浅草十二階の眺め」、一九〇七年に開催された東京勧業博覧会の台湾館の喫茶室で復員軍人が撃たれるが、拳銃がどこからも見つからなかった「観覧車とイルミネーション」は、犯人や犯行方法はもちろん、事件の関係者に芸術家が多いだけに美に彩られた特異な動機に圧倒された。
特に、外交官でもある華族の妻が出産したばかりの男の子が殺され、目と尻の肉が切り取られる「さる華族の屋敷にて」は、伏線とミスディレクションの配置が絶妙で、どんでん返しが現代に繋がるテーマを浮かび上がらせており出色だ。
これらの謎をめぐって〈牧神の会〉のメンバーが推理合戦を行うのだが、真相を看破するのは女中のあやのである。この趣向は、アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』のオマージュである。アシモフに倣って各編の末尾には「覚え書き」があり、それを読むと、著者が膨大な史料を読んで史実の隙間にフィクションを織り込み、実在の人物を自在に動かして独自の解釈で近代史にアプローチしたことも見えてくる。その意味で本書の緻密さは、山田風太郎の〈明治もの〉に匹敵するといっても過言ではあるまい。
政治とは無縁に美だけを追究している〈牧神の会〉だが、宴席で披露される事件は、国家に切り捨てられた者たちの怨念、激変する時代への戸惑い、国籍、男女、病気などの差別、広がる格差といった社会問題が遠景に置かれていた。そして〈牧神の会〉が隅田川をセーヌ川に見立てたように、作中で描かれる社会問題は、明らかに現代と重ねられている。
陸軍士官学校の校長が服毒自殺と見られる状況で発見された直後、四谷の細民窟で少女が服毒死する最終話「未来からの鳥」では、明治末と戦後社会を二重写しにしつつ、芸術と政治はどのような関係にあるべきかが議論されていく。芸術は、政治に争うことも一体化することもあり、この問題は作り手だけでなく、受け手も無縁ではない。それだけに、本書のテーマは重く受け止める必要がある。
『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』
宮内悠介
幻冬舎
〈「STORY BOX」2022年4月号掲載〉