採れたて本!【エンタメ#18】

採れたて本!【エンタメ】

 天才、というものの正体を考えてみると、たくさんの人から理解したいという欲求を引き出す存在、というふうにも言えるのかもしれない。モーツァルトも大谷翔平もシルヴィ・ギエムも、「この人はどんな人なんだろう?」「なぜこの時代にこの人が誕生したのだろう?」と理解したいという欲求をぶつけられ続けている。そういう意味で、本作の主人公・萬春もまた──理解したい、と思われ続けているのだ。この人を知りたい。そんなふうに思われるダンサーは一握りかもしれないが、彼は作中、たくさんの人から「理解したい」と思われ、その痕跡が小説に綴られている。

 本作は、バレエダンサーの少年・萬春について、周囲の人々から見た彼の姿が語られる章が続く。そして最後の章でやっと、春自身の言葉が自分自身を語る。その間、読者はずっと彼について「彼は何者なんだ?」「春はいったい何を考えているんだ?」と思うことになる。バレエの踊り手としても才能があったが、なにより振付師としての才能を開花させることになった春。彼のつくるものや踊りの才能の正体は、周囲の人にとってもなかなか掴むことができないものだった。同世代のダンサー、教養ある親族、のちに作曲家になる女性、そして彼と関係をもつ人にとって、萬春とは、どのような存在だったのか? その謎を解き明かしながら、本作はバレエという芸術の魅力を描いていく。

 本作の魅力のひとつに、「この小説で描かれたバレエを見てみたい!」と思わせる、というものがある。『ジゼル』や『眠れる森の美女』といった古典的なバレエ作品も、春が関わると改めて魅力的な作品に見えてくる。さらに春のつくりだした新しいバレエ作品もまた、どれもとても面白そうで「このバレエを見てみたい!」と思わせるのだ。

 しかしそれ以上に魅力的なのが、本作に登場するキャラクターたちだ。バレエというストイックな世界に身を委ねる人々が描かれているにもかかわらず、それでも苦しさよりも踊っているときの楽しさのほうに目が向く。芸術に関わることは楽しくて、だからこそもっと知らないことを知りたくなる──そんなキャラクターのいきいきとしたバレエへの想いが描かれるからこそ、読んでいる読者も「バレエいいな、面白そうだな」と思えてくるのだ。

 一冊かけて、読者も「春というダンサーを理解したい」という欲望を駆り立てられる。そしてページをめくっているうちに、私たちは本書の描くバレエの魅力の虜になってしまうのである。

spring

『spring』
恩田 陸
筑摩書房

評者=三宅香帆 

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第4話
週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.144 精文館書店中島新町店 久田かおりさん