採れたて本!【海外ミステリ#28】

採れたて本!【海外ミステリ#28】

 1946年にアルゼンチンで刊行された珍品が、遂に邦訳された。幻想小説の書き手である妻、シルビナ・オカンポと、その夫であるアドルフォ・ビオイ・カサーレスが合作した探偵小説、『愛する者は憎む』(幻戯書房)である。

 年季の入ったミステリーマニアなら、カサーレスの名には見覚えがあるかもしれない。ホルヘ・ルイス・ボルヘスとカサーレスによる合作探偵小説『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』は「本格ミステリ・ベスト10」の2001年版第1位を獲得している(岩波書店で刊行時。現在は白水Uブックスで再刊されている)。本国では1942年に発表され、ボルヘスの敬愛するG・K・チェスタトン流の逆説が全編を覆った贅沢な短編集となっていた。

 ボルヘスとカサーレスのコンビ、通称「ビオルヘス」は、アンソロジー『推理小説短編傑作選』を編み、推理小説コレクション〈第七圏セプティモ・シルクロ〉を監修し、海外の推理小説を邦訳してスペイン語圏に紹介した。そのコレクションには、ウィルキー・コリンズ、イーデン・フィルポッツ、ジョン・ディクスン・カー、ニコラス・ブレイクといった錚々たるメンツが名を連ねる。まさに、スペイン語圏の推理小説受容を形作った二人といえる。このあたりの事情に関しては、『愛する者は憎む』の「訳者解題」にも詳しいので参照してほしい。

 さて、そのカサーレスが妻と合作した『愛する者は憎む』だが、こちらは〈第七圏〉の「国産」推理小説として刊行された。本書は231ページあるが、本文は136ページまでで、以降は年譜と訳者解題という構成である。

 主人公のドクトル・ウンベルト・ウベルマンがサリナスの海岸に建つホテルに向かい、そこで出会った四人の男女と共に、とある連続殺人劇に巻き込まれる……とくれば、〈第七圏〉の刊行リストに名前こそないが、アガサ・クリスティ流の作劇を期待するマニアもいるだろう(大胆な謎や不可能興味で話を牽引するのではなく、丁寧に人間関係を描いていき、謎を醸成する手つきはニコラス・ブレイクやマイケル・イネスなどの英国作家の手つきを思わせる)。

 そして、その期待は裏切られない。四人の男女が冒頭、海でふざけあっているシーンに思わぬ意味があるところや、複数の容疑者の動きを絡ませて錯綜したプロットを組み立てる手さばきなど、黄金時代の推理小説の輝きを思わせる要素が短いページの中に十分詰まっている。

 筆者が特に感心したのは、ある人物が推理を失敗するパートがあるのだが、この「失敗」の使いどころが絶妙なところだ。結末から逆算して、巧妙なタイミングで「失敗」が置かれている。探偵が派手に失敗し、プロットを駆動するところは、アントニイ・バークリーの手法をも思わせるかもしれない。色々な共通点を探ってみたが、少なくとも、黄金時代推理小説への郷愁を満たしてくれる一作であるのは間違いない。

愛する者は憎む

『愛する者は憎む』
シルビナ・オカンポ、アドルフォ・ビオイ・カサーレス
訳/寺田隆吉
幻戯書房

評者=阿津川辰海 

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