森 晶麿『あの日、タワマンで君と』

20代の僕はタワマンが嫌いだった
27の時、いわゆる〈億ション〉の広告を多く手掛ける制作会社にコピーライターとして採用された。「駅前ユートピア」とか「眺望最前席」とか、よくある言葉をつないで作るだけのもので、「こんなのラクショー」と思っていた。その頃すでに文学賞の最終候補になった経験もあり、マンション広告だって俺の手にかかれば文学になるぜ、と息巻いていた。
ところが──全然自分のコピーが採用されない。情緒ある言葉で彩ったはずのキャッチコピーが、上司の書いた手垢のついた言葉のコピーに負ける。毎日50案近くがボツになった。
心が折れかけながらもマンション広告の束を日々眺め「自分は億ションを購入検討する人の日常風景を想像したことがあるか?」と自問した。そもそもそんな金持ちの知り合いが近くにいない。仕方なく、大学4年の頃いくつか就職活動をした時のイヤな面接官の顔を思い描いた。もしあのオッサンが億ションを検討している金持ちなら、どんなコピーを「お?」と思うか。想像してみたら──なるほど「眺望最前席」の勝ちだった。湿った詩情なんて、億ション広告にはナンセンスだったのだ。
その後はコピーのスキルも上達したが、頭の中にはいつも苦手な〈オッサン〉がいた。そのせいだろう。億ションやタワマンが、長らく苦手だった。生活がつねにカツカツだったせいも、きっとある。
それでも、モデルルームの取材のたび、そこで暮らす自分を想像したり、打合せの帰りに高級ホテルのロビーで休憩しながら金持ちの気分を味わったりしたことは、決して悪くない経験だったと認めなければならない。
『あの日、タワマンで君と』執筆に際し、20代のそうした日々が役に立った。ある意味で、本書を書くことで、僕はタワマンと仲直りできたのかもしれない。そんな気がする。
森 晶麿(もり・あきまろ)
1979年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程修了。『黒猫の遊歩あるいは美学講義』で第1回アガサ・クリスティー賞を受賞しデビュー。他の著書に「偽恋愛小説家」シリーズ、『切断島の殺戮理論』『超短編! ラブストーリー大どんでん返し』『名探偵の顔が良い 天草茅夢のジャンクな事件簿』がある。