採れたて本!【国内ミステリ#32】

「東京の街を駆け抜ける〝現代版アラジン〟」。これは、『イッツ・ダ・ボム』で第31回松本清張賞を受賞してデビューした井上先斗の第2作『バッドフレンド・ライク・ミー』の帯の惹句である。『千夜一夜物語』の「アラジンと魔法のランプ」では、アラジンはランプから現れた魔神の力を借りて願いを叶えるが、本書の主人公・森有馬にとって、魔神にあたるのはどんな存在だろうか。
有馬はホストだった時に300万円の借金を背負い、今ではウーバーイーツの配達員をしている。彼はホスト時代の先輩の紹介で、ジンと名乗る男に出会った。真っ青なスーツにネクタイ、おまけにカラーコンタクトまで青という得体の知れない人物だったが、有馬がほしがっているのは「自信」だと看破し、彼に7つの試練を与える。
試練はジンの指示通り動けというもので、少なからぬ読者はここから、有馬が闇バイトに利用されるのではと予想するだろう。ところが、ジンの指示は大して難しくも危険でもない。しかも、試練のステージが進むごとに報酬の金額がアップし、最終的には500万円が手に入るのだ。ただしジンは、「自分が、今おこなっているのは非合法な何かへの助走だと」意識してほしいと言うのだが……。
有馬はウーバーイーツの配達先で偶然再会した中学時代の同級生・茉莉が自分に気がつかなかったことに傷つくほど、自信を欠いた若者だ。そんな彼の視点に同化しながら、読者も何が起きているのかわからない状態にひたすら翻弄されることになる。
だが、初対面の際にジンが指摘した通り、有馬の武器は観察力と洞察力であり、それが結局はジンの思惑を超えて、彼の目的を見抜くことになる。ジンが立てた計画の原理自体は、ミステリ小説に幾つかの先例が思い浮かぶけれども、本格ミステリではなく、犯罪小説でこのトリックをやったというのが珍しい。鬱屈した青年と犯罪の関わりを扱った小説ながら、筆致は軽妙であり、ラストで有馬とジンそれぞれが選んだ道を描いた結末には爽快さがある。
最後に、主人公がウーバーイーツの配達員であり、なおかつジンの試練に従って東奔西走するせいもあって、本書が東京の地理について稀に見るほど詳細に書き込まれた小説であることを指摘しておきたい。今、東京は大規模な再開発により、見慣れた風景が日に日に失われつつある。本書に描かれた風景も数年後には全く別のものになっている可能性は否めないが、だからこそ時代の貴重な記録たり得ているのだと思う。
評者=千街晶之