採れたて本!【海外ミステリ#37】

採れたて本!【海外ミステリ#37】

 東京創元社で一九五八年から五九年にかけて刊行された叢書に、「クライム・クラブ」というのがある。函入りの叢書で全二十九巻、五〇年代の海外の推理小説を収録し、ビル・S・バリンジャーやカトリーヌ・アルレーなど、犯罪小説やサスペンスの秀作・傑作を数多く日本に紹介した。収録作品の選定および全巻の巻末解説を担当したのが、知の巨人、植草甚一だった。

 本国では一九六二年に発表されたジャドスン・フィリップス『終止符には早すぎる』もまた、植草甚一の名と共に有名な一冊である。植草がコラムの丸々一回分を割いて紹介したのがこの『終止符~』なのだ(その文章は『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』で読むことが出来る)。名のみ有名な一作だったが、期待は裏切られなかった。もちろん、一九六二年ということで微妙に時代こそずれているが、この『終止符~』もまた、「クライム・クラブ」の一冊として数えられてもおかしくないような、小気味の良い犯罪小説なのが嬉しい。「クライム・クラブ」の一部の作品にあるような先鋭的な仕掛けがあったというのではないが、都市の描写や文章の軽快なリズムに、イケてる小説を読む、あの幸福感がある。

 弁護士、コーニー・ライアンは〈ニューヨーク・アスレチッククラブ〉のバーで名誉毀損訴訟の依頼人を待っていた。依頼人の名は大富豪、マシュー・ヒグビー。馬主になろうとする彼は、公聴人の前で殺人者と非難されたのだ。マシューと共に訪れたサットンプレイス・サウスのアパートメントで、コーニーは顔を殴られた女性とその娘に出会う。アパートに押し入ってきた二人の男が、家を荒らして何かを探し、去って行った──。

 コーニーに二人を任せて姿を消したマシュー、次いで起こる殺人事件……。ニューヨークの街並みと空気を活写しながら、小気味よく事件を展開させていく筆さばきが心地よく、あれよあれよと意外な展開へ導かれる。登場人物一人一人の魅力ももちろん素晴らしく、特にフランシス・テリルとその娘、ドーンの危なっかしさにはハラハラさせられる。姿を消した大富豪の過去が事件の焦点になっていく過程も実に読ませる。中盤の展開は実にロマンチックで、今でこそドラマや漫画で見たことのある光景だろうが、一九六二年の小説にもうこんなシーンがあったのかと驚かされる。軽やかな足取りは結末に至ってもそのままで、思わず口笛を吹きたくなるような小粋な一作だ。何より、矢口誠の訳文が見事に作品世界にフィットしており、上質な読書体験が約束されている。

 ジャドスン・フィリップスは別名ヒュー・ペンティコースト。そちらの名前でもいくつかの邦訳作品があるが、それではカバーしきれぬほどの多作作家である。本書『終止符~』のもう一つの白眉は、フィリップス/ペンティコーストについて語り尽くした小山正による十八ページの入魂の解説(多すぎるシリーズキャラクターの解説には脱帽)と、四十ページに及ぶ圧巻の著作リストであろう。その資料的価値にも敬意を表しつつ、何より小粋なミステリーを読みたい人に大いにオススメしたい一冊である。

終止符には早すぎる
『終止符には早すぎる』

ジャドスン・フィリップス 訳/矢口 誠
新潮文庫

評者=阿津川辰海 

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