片桐はいり、小林聡美、室井滋、松尾スズキ・個性派俳優が綴る人気エッセイ4選

ドラマや映画などで個性派として活躍する俳優が書いたエッセイには、その演技同様にオリジナリティに溢れた魅力があるようです。役者としての豊かな感性が文にも表れ、思わず笑えたり、大爆笑したり、ときにはしみじみしたり……と、読者を飽きさせません。個性派俳優たちによる人気のエッセイ4選を紹介します。

『もぎりよ今夜もありがとう』(片桐はいり)――ほとばしる映画館愛に喝采


https://www.amazon.co.jp/dp/4344422309

大学卒業後、劇団「ブリキの自発団」に入団し役者となり、「あまちゃん」(2013年)、「ちむどんどん」(2022年)などの連続テレビ小説(NHK)をはじめ、多くのドラマや映画に出演している著者。個性が光る役者として人気があると同時に、映画と映画館の愛好家としても知られています。

「映画館の出身です!」と言いたいという著者は、実際に18歳頃から約7年間、銀座の映画館「銀座文化劇場」(現在の「シネスイッチ銀座」)でアルバイトをしていました。今作ではそのときのエピソードも交えつつ、映画や映画館の魅力を熱く綴っています。

映画館でのバイトを始めた頃、著者の担当はもっぱら“もぎり”という、客を入館させる際に紙の映画券の半券を切るという仕事がメインでした。著者はこの“もぎり”の作業をこよなく愛し、極めていきます。

入場券を切り取り線にそって美しく裂くにはちょっとした技術がいる。“もぎる”という言葉のとおりチケットをわしづかみ、右手の親指の付け根をてこにして、一瞬でひっちゃぶかなければならない。たまに丁寧に折り目をつけてから指先でちきちき切り離すもぎりに出くわすと、音なしで蕎麦そばをすする人を見るようにじれったくなる。
 列なす入場者のチケットを、ぱしりぱしりとリズミカルにもぎる時のあの気持ち良さよ。いまだにわたしはミシン目のある紙を見ると、むしょうにそれを切り離したくなってしまう。切手シートなど渡されようものなら、あっという間にばらばらだ。

「Wの喜劇」より

券をもぎる仕事以外に、銭湯の番台のような”タカバ”(「銀座文化劇場」当時の呼称)に座り、席を見張る仕事もしていた20歳頃の著者。タカバ担当が封切の劇場でいちばん眼を配らなくてはならないのは、指定席の監視でした。入り口に近い地下一階が全て指定席。一般券で指定席階にまぎれ込んでしまう客もいて、それを見張る役でした。ある日、タカバ担当になった著者は、トラブルに巻き込まれてしまいます。
常連客のひとりが当日の一般席券を持ち、指定席階へと向かう様子を発見した著者。すかさず、その客に注意を促します。その人は有名な歌舞伎役者でした。それでも映画館を愛する著者はひるみません。

しかし、若くて青い小娘は融通という言葉を知らない。わたしはタカバを飛び出して、特等席に座るその方へ型どおりのご注意を申し上げた。その方はしばらくして劇場から出てこられると、明らかにおかんむりの様子で「いくら払やいいんだい?」と大音声でたずねられた。
 それに応えるわたしの、「では窓口でお直り券をお求めください」という杓子定規に、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまわれたにちがいない。その方は手にした千円札を次々とわたしに向かって投げつけながら、こうおっしゃったのだ。
「てめえが買ってきやがれ!」
 一代前は地方出身者だから、純粋の江戸っ子じゃあないが、こうなるとこちらも引っ込みがつかない。飛んでくる千円札をひっつかんでは投げ返し、ひっつかんでは投げ返し、声裏返してわたしも叫んでいた。
「ごごご、ごじぶんでお買いんなってください!」
 揚げ句、その方は、千円札をむんずと鷲掴わしづかみ「帰る!」とひと言、そのまま階段を上がって出て行かれてしまった。
 それからしばらく、わたしは人間国宝を指定席から追い出したもぎりとして噂の種になった。
 

 「仁義の高場」より

「Wの悲劇」、「仁義の墓場」など人気映画のタイトルをもじった名が各章につけられ、それぞれの映画情報も載せているあたりは、著者の心憎い演出が感じられます。

俳優となり出演した映画「かもめ食堂」の公開初日に挨拶に立った映画館は、かつてアルバイトをしていた「シネスイッチ銀座」(銀座文化劇場)でした。そのときの著者の思いを綴ったくだりは感慨深く心に響きます。

映画ファンでなくても楽しく読める作品です。著者の感性豊かな洞察力と読者を惹きこむ文章力に、思わず惹き込まれてしまうでしょう。

聡乃サトスナワチ学習ワザヲナラウ』(小林聡美)――ひとり暮らしの醍醐味は?


https://www.amazon.co.jp/dp/4344431642/

1979年に、人気ドラマ「3年B組金八先生」(TBS)のオーディションに合格し生徒役で俳優デビューした著者。その後1982年に大林宜彦監督の「転校生」では主演に抜擢され、翌年、第6回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞します。その後、数々のドラマや映画に出演し、自然体の演技には定評がある人気俳優に。エッセイストとしても活躍していて、演技同様に飾らない文章に人気があります。

今作では、若くして俳優デビューした後、結婚、離婚などさまざまな人生経験を積み50代後半にさしかかった著者の日常で起きたこと、感じたことが綴られています。

 そろそろ寝ようと寝床の脇の灯りに手を伸ばすと、足元にいた猫が突然ガバっと床におりたって、隣の部屋にダダダダっと駆けていった。夏の夜のこと、戸締りをし忘れた窓に不審な影でも? と私も一応身構えて猫の後をそろりと追うのだが、猫の姿を確認する前から、暗闇に不穏な音が響いている。
 ジジジジっ、ジジジジジジっ。
 猫は前足を揃えて座り、天井の隅を見上げ、目だけをくるくると動かして集中している。暗闇にジジジジジと派手に音をだして、暴走族のようにブンブン飛び回っているのは、体長二、三センチの虫のなにがしであった。日が暮れても呑気に窓を開け放していたので、虫のほうでもなんの警戒心ももたずに来訪し、外界とつながっていた我が家で寛いでいたのだろう。それが突然出入り口が封鎖され、生暖かい扇風機の風がゆらゆらまわっている四角い部屋に閉じ込められたのである。なにがしはパニックに陥った。
「ギャー、なにこれー、閉まってるー。ギャー」
 といったかどうかは定かではないが、あの、これ見よがしの、全身アピールの、ジジジジジジジという羽の音は、あきらかになにがしの戸惑いと不満の音であった。

「深夜、なにがしと」より

虫の気持ちになって語るところなど、俳優らしいユニークな表現といえるでしょう。虫の殺生は避けたいと思っている著者は、何とかして“なにがし”を外に逃がそうと誘導するのですが、なかなかうまくいきません。飼い猫とともに虫との格闘は続いていきます。一見、何の変哲もないような日常が、きめ細やかに描かれ共感が持てます。

そのほか、汗だくで行った大山詣出や若者たちとのオーストラリア旅行のエピソードなど、肩肘張らない文体で書かれています。親しみが感じられ、ほっこりとした気分にさせてくれるエッセイです。
 

『ヤットコスットコ女旅』(室井滋)――旅のお供にこの1冊


https://www.amazon.co.jp/dp/4093965455/

 TVドラマや映画などで活躍する俳優・室井滋は、エッセイストや絵本作家の一面も持ち多才です。今作は2015年から「女性セブン」で連載されていた『ああ越中ヒザ傷だらけ』を中心に、「夕刊フジ」に連載の『瓢箪なまず日記』をあわせて、著者自ら厳選・再構成し、単行本化(2019年)にあたり、加筆・修正されたものです。装画は『しげちゃん』など数々の作品でコンビを組むイラストレーターで絵本作家でもある長谷川義史による描き下ろしです。

新幹線内で朝食の弁当を済ませ、机を引き出して原稿を書こうとしたとき、リクライニングされた前座席の背が著者の顔に迫ってきます。

「ち、近いわぁ~」
 こちらが前のめりになりペンを走らせると、目の前の自分の空間はきわめて狭いものになった。おまけに前の席はとても座高の高い人で、その後頭部が椅子の背をニョッキリ越えちゃっているし……。
「ムム、座布団敷いてんのかい? オッチャンのようね、この髪は。中途半端に伸ばして、スダレの横わけタイプ。まぁ、どうでもいいけど、これ困るぅ~」

著者は前座席との距離をすごく気にしながら、顎を引いて原稿を書くようにしていました。それから約10分後に“まさか”の出来事が起きてしまいます。

 オッチャンときたら突如自分の頭をボリボリきだして、その後頭部の様子が変わってしまう。椅子の内側にあった毛が、一気に外側に飛び出してきたのだ。
 まるで冬山が春を迎えて、草木が一斉に伸びたみたいな増量具合! おまけに頭のてっぺんの薄い毛たちは、車内の乾燥でパヤパヤモヤモヤとつっ立ち踊っている。
 これが私の鼻先をかすめたら何としようと思うが早いか、私はまさかのクシャミをしてしまった。
「ハ、ハ、ハ~クショ~~ンッ」
 我ながら、すさまじい一発だった。

「オッチャン、ちょっと近いわぁ」より

その後オッチャンが振り向き、放った言葉に著者は驚かされます。私たちの日常にも起きうるシーンに共感を覚え、親しみが持てるでしょう。

ほかにも仕事やプライベートの旅行で遭遇した全国各地でのエピソードが、楽しく語られています。合間には「お邪魔じゃなければ連れてって 旅グッズ」などの旅に関する便利な情報が載っていたり、ページ下にパラパラ漫画が描かれていたりと楽しめます。著者と一緒に旅をしている気分になることができて、リフレッシュできるでしょう。

『大人失格 子供に生まれてスミマセン』(松尾スズキ)――抱腹絶倒! 噂のエッセイ


https://www.amazon.co.jp/dp/4334728677/

個性派俳優であり、1988年に旗揚げした劇団「大人計画」の主宰で演出家、脚本家の松尾スズキによるロングランの人気エッセイです。雑誌「HANAKO」(マガジンハウス)で連載されたものが単行本化(1995年)、1999年に大幅に加筆され文庫化されました。
学生時代や売れない俳優時代の話も語られ、お腹から笑えるエピソードからアダルトな話までとテーマも多種で読者を飽きさせません。

 公演もあと三日を残すところまで無事にこぎ着け、私達は楽屋でセブンブリッジなぞをやりながら開演を待っていた。 
 阿部あべが来ていないのに気づいたのは開場前二十分の知らせを受けた頃だった。
「阿部はどうしたの?」
 製作の長坂ながさかが深刻な顔で答える。
「一時間位前から電話してるんですけど誰も出ません」
「ああ……そう」
 私はまだ状況を楽観視していた。が、阿部の役は結構重要で、特に後半は出づっぱりである。本番に間に合わない事態が訪れれば一大事になるのは目に見えていた。
 そして一大事になった。
 開場前、五分。
 長坂が私に詰め寄る。
「どうします? 松尾さん。代役立てるか、並んでるお客さんに払い戻しをするか。今、決めてください」
「ま、待て。休演はまずい!」
「だってもう開場ですよ。じゃ、代役立てるんですね。入れちゃいますよ、お客さん」
 阿部の役は主人公にいつもつきまとい、ピンチに陥れるという人物で、当然出番もセリフもやたらと多い。
「いいんですね。代役立てるとしたら、ちょっとしか出てない松尾さんしかいませんよ」

この阿部とは今や人気絶頂の俳優・阿部サダヲのことで、松尾が運営する劇団「大人計画」の一員です。阿部不在で幕を開けようとする松尾やスタッフのドタバタが軽妙なタッチ描かれます。

 役者とスタッフ全員が、でんぐり返りそうになる脳を支えながら、“阿部シフト”に走る。おお、この一体感。君達けっこう熱いじゃん。感心してる場合か俺。うえ、何、後半のこのセリフの長さ。えい、いざとなったらアドリブだ。ああ、また「雑」と評されるのか、俺の俺の舞台。勝幸。わ。誰だいきなり私の本名を。『あんたいつまで芝居なんかやっとるつもり』。げ、お姉ちゃん。『いつになったら「笑っていいとも」に出るんね』いや、笑っていいともは……『年金とかちゃんと払いよるの?』今、それどころじゃ……『年とったら誰も面倒みてくれんとよ』わかった、わかったから、セリフを覚えさせてくれえ。『ああ、松尾君は千円でいいから』何? ここはどこ?え? 大学の同窓会? 『松尾君、芝居やっててアレだから、ここは千円でいいよね』いや、払う。ちゃんと五千円待って来てるから。『でも芝居やってると何かとアレでしょ?』なんだ? アレって。くそ。はっきり言ってみろ! 芝居やってると何がアレなんだ。いかん。去れ、雑念。私はセリフを……『松尾君は千円でいいから』ない! そんなセリフはない!
 それでもとにかく幕は開く。幕が開いたら止められない。なんだか知らんがそれが演劇のハードボイルドだ。

「役者が来ない!演出家はどうする?」より

この後、果たして無事に幕は開くのでしょうか? そして阿部の行方はどこに? 
思わず吹き出してしまうエピソードが満載のエッセイです。著者のエネルギーがそこここに満ち溢れています。一見くだらないという話にも一貫して流れる演出家、俳優の松尾ならではの鋭い視点があり、気づかないうち魅了されてしまいます。

おわりに

個性派俳優としても異彩を放つ4人のエッセイには、唯一無二の魅力があるように感じられます。楽しいエッセイを手にとってみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2023/01/11)

◎編集者コラム◎ 『山岳捜査』笹本稜平
# BOOK LOVER*第13回* ふかわりょう