40代に入ってからでしょうか。夏目漱石や川端康成、いわゆる文豪と呼ばれる人たちの小説を能動的に読んでみよう、と思うようになったのは。
『こころ』をちゃんと読んでみて驚きました。主人公が慕う「先生」は一体どんな悩みを抱えているんだろうというひとつの大きなクエスチョンがあって、その謎で読み手を牽引していく。序盤からもう「何かサスペンスが始まるのでは」という雰囲気に満ちていますよね。エンターテインメント性がすごい。
それでいて、登場人物たちの感情の揺れや心のひだまでもが、すごく高い解像度で細やかに描かれている。緻密であり、でも優しさや愛情も感じられる。
こんな言い方は大変おこがましいですが、周囲から見るとへそ曲がりに思われるくらいに、些細な部分に目を向ける夏目漱石の文章は、〝敏感中年〟である自分ともどこか重なる気がしています。
全編を通じての文体も「これが美しい文体ということか」としみじみ感動してしまいます。どの一文を切り取っても、すっと目と心に入ってくる。丁寧なのに無駄がない、それでいてテンポ感も気持ちいい。
僕は決して読書家ではないのであまり比較はできませんが、この時代の作家たちが綴る文体は自分ととても相性がいいように感じています。読み進めるほどに、心の淀みがスーッと浄化されていく。クリアな水を飲んでいるような読み心地がひたすらに心地よい。
不道徳が許容されづらい今の社会だからこそ、『こころ』は読む価値がある名作だと思います。
『こころ』
夏目漱石 著(新潮文庫)
気難しい「先生」が抱えていた秘密とは。現代国語の教科書にも掲載されている夏目漱石の代表作。
ふかわりょう
1994年にお笑い芸人としてデビュー。「シュールの貴公子」から「いじられ芸人」を経て、テレビ・ラジオで程よくぬかるんだ場所を確保する。著書に、『世の中と足並みがそろわない』など。
『ひとりで生きると決めたんだ』
ふかわりょう 著(新潮社)
「湘南」の定義とは? 代役に思うこと、田中みな実への手紙……。重箱の隅に宇宙を感じる48歳、ふかわりょうが綴った22篇の最新エッセイ集。
〈「STORY BOX」2023年1月号掲載〉
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