地球のあちこちで読者が奇想天外な世界にムフフ。コロナ禍を機に絵本が担う役割に気付いた 「源流の人」第6回:ヨシタケシンスケ(絵本作家)

時代に流されず、 常に新たな価値観を発信し続ける人々を追う、本の窓の連載「源流の人」。第6回は絵本作家のヨシタケシンスケ。前代未聞の事態でも不変だった絵本の役割。子どものヒーローが考えるこれからの表現とありかた。

 


連載インタビュー 源流の人 第6回    
時代に流されず、 常に新たな価値観を発信し続ける人々を追う

地球のあちこちで
読者が奇想天外な
世界にムフフ。
コロナ禍を機に
絵本が担う役割に
気付いた

 
ヨシタケシンスケ
絵本作家(47歳)


インタビュー・加賀直樹
Photograph:Matsuda Maki

 いま、本を読むのが好きな子どもたちで、彼の名前を知らない人は一人もいないはずだ。絵本作家・ヨシタケシンスケ。全国津々浦々、どこの書店を訪ねても、彼の絵本は高々と積まれ、新刊が出されるや飛ぶように売れていく。小学生や書店員たちが選ぶ数々の人気投票では、毎年、上位ランクをキープ。「ヨシタケワールド」と称される独特の世界では、日常のワンシーンから始まって、クスクス笑えるストーリーが繰り広げられる。たとえばデビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社刊)では、主人公が手にしたりんごが、不思議なものに見え始めるところから始まる。「反対側はみかんかも知れない」「宇宙から落ちてきた星かも知れない」──。妄想は果てしなく広がって、思わぬ展開と結末にムフフと笑わせられてしまう。
 ヨシタケの絵本愛読者には、きっと共感してもらえると思うのだが、彼の作品はどちらかと言うと、「読み聞かせ」のように大人数で読むよりも、独りぼっちでそっとページを開き、独りニヤニヤしながら読みたい。いまや、子どもだけでなく幅広い世代に、そして世界へと共感の輪が広がっている。版元のブロンズ新社によれば、同社刊行の絵本だけでも英語やフランス語、韓国語など十一言語に翻訳され、累計三百二十万部を突破している。彼の物語は、地球のあちこちの読者をニヤニヤさせているのだ。

寝ている間に何が起こっているのか

 そんなヨシタケの近刊『ねぐせのしくみ』(同社刊)では、主人公の女の子が寝ている間に、ものすごい寝ぐせが形成されていくさまを、斬新な視点でユーモラスに描いている。彼は笑いながら制作意図を明かしてくれた。
「我が家の中二、小三の息子たちが毎朝、ものすごく面白い寝ぐせをつけて起きてくるんですよ。僕は、残念ながらもう寝ぐせがつかないけど(笑)、僕以外の家族が面白い髪形になって起きてくるのが楽しみなんです。『今日は、どんなふうになってくるんだろう?』って」
 いったいぜんたい、どうやって寝たら、そんな髪形になるのか。確かに、寝ている時間というものは面白い。現実世界に肉体を置いたまま、数時間にわたって無防備な状態を続けているのだ。ヨシタケは続ける。
「寝ている間、何が起こっているかわかんない。誰かの意図によって寝ぐせがつけられているとしたら……。そんなところからストーリーが膨らんでいったんです」
 主人公が眠りに落ちた瞬間、部屋の窓からは「人間じゃない何か」がぴょこぴょこと登場する。彼らに連れ出された主人公は、熟睡し、一切の意思表示をしないまま、現実世界のパラレルワールドに駆り出されていく。そして再びそっとベッドに戻された主人公が目を覚ます頃、彼女の髪形は、ドラスティックに、とっ散らかっている。ヨシタケは言う。
「読み終わってから『あれ、誰だろうね、何だろうね』って想像する。そんなスキマが空いていたら嬉しいな、と思ったんです。寝ている身体のもどかしさ、不思議さをテーマにしたかった」
 さっそく読者から反響がどっさり届いた。幼児からはこんな意見も。「ヨシタケさんはツルツルピカピカなのに、そんな『はなし』をかけてすごいですね」
「『ツルツルピカピカ』って(笑)。そこそこショックを受けたんですけど、でも嬉しかった」

大人だってわかんない


『ねぐせのしくみ』(ブロンズ新社刊)より

 この絵本を含め、三冊もの著作を今夏、ヨシタケは刊行している。制作期間にあたっていたのは、ちょうど緊急事態宣言の言いわたされた最中だった。もともと自宅で仕事をしてきた彼にとって、創作活動自体に大きな変化はなかったものの、二人の子どもたちの学校が休校になったため、ずっと一緒にいる生活が続いていた。世の中全体の雰囲気もワサワサし、落ち着かない状況が続いたという。ヨシタケは当時を思い返し、こう語る。
「(世の中には)お仕事自体が立ちゆかない人もたくさんいらっしゃいました。じゃあ、僕は何をすべきなのか。居心地の悪さをすごく感じていました」
 さらに、徐々に世の中が元に戻り始めてきた時、ヨシタケは「ややこしくなった」と感じたという。それは、各々のモラルの基準がバラバラになってしまったこと。「マスクしなくても良い」「今こそちゃんとしなくちゃ」。どんどん乖離していく。たとえばヨシタケ家の次男の場合、授業後に友達の家に遊びに行く折、友達の家のルールの違いに当惑したという。「家の中で遊んじゃダメ」「うちは全然OK!」「あの一角までは遊んでも良いけど、それより遠いところはダメ」──。それぞれのルールには何の根拠もないのに、それぞれの家庭が何となく決めて、子どもたちが混乱している。ヨシタケは言う。
「ふつうに遊びたいだけなのに。むしろ数か月前より、より人を信じにくくなっているんです。ややこしさが、ここまで顕著に出ちゃう状況って今までなかった」
 今を生きる人類が、初めて直面する禍に対し、大人たちは何らかの手立てを打たなければいけない。でも、情報が錯綜し、何を信じたら良いのかわからないなか、一体、どう捉え、どう動くべきなのか。考え続けたヨシタケが到達した答えは、こんなことだった。
「『大人も、わかんないんだよ』って正直に不安がる」
 とは言うものの、特に大人には「わからない」とは言いにくい、無言のプレッシャーがあるものだが、
「でも、フワフワした目つきで子どもたちに『大丈夫だから、大人たちが何とかするから』なんて言ったって、子どもは敏感に感じ取るはずなんです。『どうも様子がおかしい』『言うことが違う』って」
 絵本作家という職業柄、子どもたちにメッセージを求められる機会があった。ヨシタケはそんな時、ことさら慎重になったという。なぜなら、子どもたちのなかにも、家族と一緒にいられる子がいたり、親がやむを得ず外出し独りぼっちの子がいたり、環境はまちまちだからだ。独りぼっちの子もいるのに「家族との遊びの提案」という言葉を投げかけるのには強い抵抗を覚える。こんな時こそ、受け取る側に対する想像力を働かせ、決めつけるような物言いを避ける。答えの明確な表現を選ばない。
「家の中でちょっとでも気晴らしできるような提案こそが、たくさんの人に届くはず。そんなことを思いながら描き続けていきました」

スケッチが自分の居場所だった

 ヨシタケが生まれ育ったのは、きらめく白波と碧空の眩しい神奈川県茅ヶ崎市。引っ込み思案で、クラスの雰囲気になじめなかった彼は、湘南の地に生まれながらもマリンスポーツに興じることはなく、ただひたすら図画工作に夢中になっていた。大好きだったのはNHKの教育番組『できるかな』。主人公ゴン太くんとノッポさんの掛け合いを楽しむよりは、「ゴン太くん自体をつくる人になりたいと目論んでいたんです」。着ぐるみの帽子の部分に「中の人」が視界を確保する穴を発見した瞬間、ゴン太くんと秘密を共有した気分になった。筑波大学の芸術専門学群に進学。二年の修士課程を終え、都内の大手ゲーム会社に就職し、ゲーム機の企画職に採用されたものの、プレゼンが通らず、居場所を見いだせないまま半年で辞めてしまったという。
 その頃からヨシタケは、革製の小さな手帳を持ち歩き、日常の一コマをイラストで書き綴るようになった。誰にも見られないような小さな絵で、細いペンを使って、コソコソと書き綴る。イヤなことも楽しいことも、描けば思いを外に吐き出せるという。ヨシタケは言う。
「スケッチは、いわば僕の居場所です」
 退職後、筑波の同窓生のアーティストと共同でアトリエを横浜に構え、広告美術や映像制作の仕事に従事した。いっぽう、同窓生が彼のイラストに着目し、彼の説得で個展を開催。イラスト集も出版した。この本が編集者の評判を呼び、描画の仕事が次々と舞い込むようになった。彼の才能が絵本へと昇華し、デビューを果たしたのは、イラスト集の出版から十年後、二〇一三年のことだ。それ以降の目覚ましい活躍は、冒頭に記したとおりである。

新しい仕事場は移動が自由自在

 茅ヶ崎の自宅で朝、午前六時半頃に目を覚ましたら、家族と共に食卓を囲む。ヨシタケの絵本の大ファンだという二人の子どもたちを見送ってからは、自宅二階のアトリエにこもり、創作活動に打ち込む。午後は気分を変え、車に乗り込んで自宅を出発し、ネタや構想を考える作業にひたすら没頭するという。
「じつは、自宅の外に新しい仕事場をつくることができたんですよ」
 ヨシタケがいたずらっぽく笑った。彼曰く、自家用車の助手席を仕事場に「プチ改造」を施したのだそうだ。ホームセンターで板を購入し、小さなテーブルをつくった。窓の外からの光の反射が目立つからと、わざわざ板を黒く塗ってみた。ハンドルを握って、近隣の大きなショッピングモールの屋上駐車場に車を停めたヨシタケは、助手席に移って午後の作業を再開する。
「景色が良い場所を探して仕事してみたら、これがすごく良い(笑)。カフェだと隣にうるさい人が座ったりして、その人のことで頭がいっぱいになっちゃう。車なら、隣に変な車が停まっても移動できるし、陽射しが眩しくない場所に停めれば作業が捗るんです。全部こっちで決められるのが良い」。晩ごはんの頃を見計らって自宅に戻り、家族とゆっくり一日を振り返り、夜は更ける。

大事なものの順番を自分で考え決める

普段思ったことをそのまま手帳にメモをする。それが絵本のネタとなる。替えたリフィルのストックはなんと八十冊分に。

 ヨシタケが絵本を創作するうえで、一貫していること、それは、「自分自身が読みたい絵本を描くこと」だ。特に今年、世界が一変してから彼が考えていることは、「優先順位って何だろう」ということだという。彼は言う。
「学校がお休みになって、学力を心配したり、授業の進み具合を心配したり。でも『いやいや、その前に死んじゃったら元も子もないじゃないか』と思うんです。各家庭が、我が家にとって一番大事なものって何だろう。この子が元気でいてくれることなんじゃないか、って」
 これまでは何も考えずに皆と同じ選択をして生きていれば良かった。けれど、今後は違う。「大事なものの順番」を自分で決めなきゃいけないはずだ。決断を曇らせるいろんな条件や心配、不安。優先すべきことは何なのかをそれぞれが判断できなきゃいけない。
「生き方が変わってくるはずです。優先順位を考える、というテーマには、すごく興味があります」
 あれもできなくなった、これもできなくなった──、そんな悲嘆に暮れてばかりもいられない。むしろ、未来の子どもたちは、ネット上だけでも充分な交流ができる適応力を新たに身に付け、しなやかに順応していくかも知れない。世界各国の子どもたちが縦横に交流できるようになるかも知れない。ヨシタケは言う。
「新たなものを受け容れる力を信じるしかない時、じゃあ我々がどういうサポートができるのか。それを考えるべきなんでしょう」
 ヨシタケがこのコロナの渦中に痛感していることは、絵本のもつ役割についての再認識だ。
「前代未聞の事態のなかでも、絵本の役割は不変でした。絵本と読み手とが対峙する時間、絵本を媒体として親子で話し合う時間。それはまったく変わらず家庭にあり続け、一つの娯楽であり続けていることを、今一度思い知ったんです」
 どんな状況になっても、本の存在、紙の束は、人間の味方をしてくれる。絵本という媒体で伝えられること、現実の受け取り方は、コロナ禍を経て新しく生まれ変わってくるはずだ。ヨシタケは静かにこう語ってくれた。
「絵本が友達の代わりになることはできません。絵本にできることは、たかが知れています。どこまで提案できるのか、それぞれの生活の中に、心の中に入っていけるのか。これからは、今までとは違う本がたくさん出てくるし、求められてくると思うんですよね。それを引き受ける必要がそろそろ来ていると思っています」
 物語の構想を練る傍ら、日常の一コマを描く彼のスケッチは、今日も、明日も描かれる。誰にも見られないように細いペンで、小さく小さく描かれる。そんな一枚の紙片が、まったく新しい世界へと拡がる窓になるはずだ。

 
 

ヨシタケシンスケ(よしたけ・しんすけ)

1973年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ、本名・吉竹伸介。98年、筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。大手ゲーム会社に就職したが半年で退職。大学の同窓生が設立した共同アトリエで広告造形美術の制作を始める。2003年、初のイラスト集『しかもフタが無い』(PARCO出版)を刊行。広告美術の制作のかたわら、本や児童書のイラストレーションを手掛ける。「週刊文春」で連載中の土屋賢二「ツチヤの口車」挿絵などを担当。2013年、絵本『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)を刊行。『りんごかもしれない』は「第6回MOE絵本屋さん大賞」第1位を獲得。日本のみならず台湾、韓国、英国、オランダ、フランスなどでも翻訳出版され、海外からも高い評価を受けている。「王様のブランチ」や「あさイチ」「情熱大陸」など、多数のメディアにもとりあげられている。近刊に『ねぐせのしくみ』(ブロンズ新社)、『あつかったら ぬげばいい』(白泉社)、『欲が出ました』(新潮社)など。2児の父。

 
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