ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第21回
とはいえ、「10年間ツイッターをやっていた」
と言った方が正しいかもしれない。
私ごとだが、この10月で漫画家生活10周年になる。
その内9年近くは会社員との兼業だし、今も家族に寄生しているので、漫画家として自立したことは一瞬たりともない、とも言える。
だが、少なくとも「漫画家と言い張り続けて10年経ってしまった」ことは事実だ。ゾッとする。何もめでたくない。ただのホラーだ。
終身雇用、年功序列が当たり前だった昔の日本では、仕事はとにかく続けるのが偉い、という風潮だったが、それも崩壊しつつある。
むしろダメな仕事は早めに見切りをつけないと、ただ消耗するだけと言われるようになった。
結果だけ見ると私の10年は「継続」ではなく「摩耗」なのだが、それでも10年続けられたことは嬉しく思っている。
今まで応援してくれた読者、または読者の幻覚には感謝をしている。
そうなると「幻覚を見続けて10周年」ということになるし「自分を漫画家と思い込んで10周年」の可能性が出てくる。
10年を節目に「通院」を考えた方が良いかも知れない。
この10年間の妄想を振り返ると、ヒットを出すというような「盛り上がり」は特になかった。
妄想なら、もっと良い夢を見ればいいのに謙虚である。
よって10年間、小さな一喜一憂を繰り返す日々だった。
ツイッターで自分の作品を褒めてくれる人を見つければ喜び、文句を言っている奴がいればそいつの不幸を願った。
それしか思い出せないので、漫画家というより「10年間ツイッターをやっていた」と言った方が正しいかもしれない。
つまり「毎日一喜一憂しながら、地味な仕事をこなす」という、他の仕事となんら変わりない日々であった。
しかし世の中には「憂オンリー」の仕事も多い、漫画家も当然憂の方が圧倒的に多いが「喜ワンチャン」ある分、まだ恵まれている方かもしれない。
そして10年続けてわかったことは漫画家というのは「売れなくても10年続けることはできる」ということだ。
漫画家は売れればデカいが、売れなければどうしようもない職業、というイメージがあるかもしれない。
しかし、テレビには出ないが、地方やイベントで普通に食っている芸人がいるように「ジャンプで連載して売れなきゃ終わり」という世界でもないということだ。
ただジャンプで連載して売れなければ「一生親戚に職業の説明が出来ない」というだけである。ちなみに私の場合、親すら私が何をやって食っているのかよくわかっていない。