樋口一葉に聞く!聞き手・井上ひさし
もしも一葉が長生きしていたら
一葉 よほど失敬な人ですね、あなたは。そうすると、あなたはわたしがたとえ長生きしてもたいした小説は書けなかっただろうと言うのね。
―――「もしも……」という仮定の質問にはお答えしたくありませんが。
一葉 おっしゃい!
―――あなたは百歳まで生きても、「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」、そして「十三夜」をこえる小説はお書きになれなかったろうと思います。
一葉 なんですって。
―――理由は二つあります。まず、「十三夜」からあとの作品が別人のようにつまらなくなっていること。「この子」も「わかれ道」も、屁のような小説ですな。ありゃゴミです。しかし病気のせいで、あなたの体力や気力が落ちていたのはたしかですから、この第一の理由にはあまり重きをおかぬことにしましょう。決定的なのは次の事実です。「一葉は日本文学史上最後の、文語による作家であったこと」。
一葉 君はなにを言っているのだ。
―――これはいままでまったく言われたことのない、いわば本邦初演の説ですから、ちょっと説明が必要でしょう。
一葉 聞き手の分をわきまえぬ男だわね。聞き手と称しながら喋ってばかりいる。
―――あなたの文体はふつう雅俗折衷体といわれています。中古の和文と西鶴の俗文とを混ぜ合せたのが文章の骨組み。そこへ中古の雅言と近代の俗言と、そして明治の語彙とを加え、さらに明治の女性感覚をふりかけたもの。乱暴に言えばそういうことになります。これがどういう意味をもつかおわかりですか。
一葉 突然、ものを訊くな。びっくりするじゃありませんか。
―――あなたの文体は、明治までのわが国の文章のよいところを集約したものなのですよ。あなたのところで日本文章史がすべて塞き止められたのです。あなたは天分に恵まれていたが、同時に、歴史から、たいへんな贈物を受け取っていたわけですね。文語体の文章史の最後に立ち合うという贈物を、ね。もちろん歴史からの、あるいはその時代からの贈物を受け取ることができるというのも凄い才能です。そこへ行くとわたしたち普通人には活眼の持ち合せがない。目の前にその贈物がぶらさがっているのに、それが見えないのです。ところがあなたには、和文や漢文が人びとの日常からほとんど消え去ろうとしているのがはっきりと見えた。そうしてその和文が消滅する寸前に、それまでに現われた和文のすべてを総括した文体を創り出した。そうですとも。あなたの文章がわたしたちの心を打つのは、ひとつにはあなたの文章が和文脈による文語文の最後の絶叫だからなのですよ。おわかりになりますか。
一葉 井上君がわたしをほめているらしいということは、なんとなくよくわかりますよ。
―――さて、あなたのすぐあとに本格的な言文一致体の時代がやってきます。もはや雅俗折裏体なんて時代じゃない。時の勢いは口語文へ移っている。読者が口語文を要求しているのです。あなたは不利な戦いを強いられたにちがいないし、雅俗折衷体の女王であるだけに、きっと敗れていた。つまりあなたは早死したおかげで、負け戦さをせずにすんだわけですね。口語文は、あなたにはかったるい、じつに間のびして間の抜けたものだったはずです。ちがいますか。
一葉 あたり。
―――その口語文で、たとえば「にごりえ」のような緊密なリズムが出せたでしょうか。
一葉 ……。
―――だからあなたは死ぬべきときに死ぬことのできた幸福な作家なのです。
一葉 ああ、肩が凝る。
―――話題がすこし固苦しくなりましたかね。
一葉 そうではなくてほんとうに肩が凝っているのですよ。
―――そうか。頭痛と肩こりはあなたの持病でしたね。お肩をお揉みしましょうか。
一葉 おや、まあ、それはすみませんねえ。
―――聞き手としては三流ですが、揉み療治の揉み手としてはこれでもなかなかやるのです。このあいだなぞはうちの飼い猫の糖尿病を揉み療治で治してしまいました。ではお肩に摑まらせていただきます、へイ。
お月さまと戒名事件
一葉 ホントだ。あなた、よほどお上手だねえ。
―――へッ、おそれいります。お肩を揉みながらインタビューというのも失礼なはなしですが、構いませんでしょうか。
一葉 なんなりとどうぞ。ああ、いい気持だ。
―――一葉先生の小説にはじつにしばしばお月さまが出てまいりますね。
一葉 お月さまって好きよ。月のよい晩には妹の邦子を連れてよくお茶の水橋まで出かけたものです。あの橋から眺めた月はじつにいいのよ。
―――ええ。これでもあなたの日記を何回もよく読みましたから知っております。一葉研究家たちの言うところによれば、《一葉の月は神佛としての月である。月は神佛のかわりになって人びとの心の清濁を照し出している》のだそうですが、わたしにはどうもそうは思えない。わたしの考えでは、《一葉の月は死の世界の象徴》なのですね。
一葉 その通りよ。
―――やっぱり?
一葉 もっとも「月は神佛」と「月は死の象徴」とに、さほどちがいはないけれど。
―――いや、ちがいますな。一葉研究家たちへのもうひとつの不満は、明治二十六年二月十五日を無視してかかっている彼等の態度です。
一葉 明治二十六年二月十五日……?
―――二十二歳の春に、あなたは自分に自分で戒名をつけたでしょう?
一葉 つけました。「花は落ちてふたたび枝にもどらず、 破れた鏡は二度と姿を写すことはない。万物を生成している四大がこわれて、わたしの身体を形づくっている五つの要素が空しくなるとき、魂はこの天地の間に消え失せて、すべてはただ朦朧として暗い。この万物必滅の世になぜそのように執着するのか。心の迷いにまどわされて地獄へ墜ち、永遠の責め苦を受けることになったらどうするのか。やめよ。一刻もはやくその執着心を断って成佛解説をとげよ。ここにおいてすなわちおまえを法通妙心真女と名付く、喝」……。といったようなことを日記帳に書きつけたことがありますよ。
―――「法通妙心真女」。そう、二十二歳の若さで自分に戒名をつけたところに、あなたの文学を解読する鍵がある。あなたは生きながら死んでいたのですね。だからこそこの世がよく見えたのでしょう。つまり月はこの世とあの世の通い路。彼岸と此岸を連結する穴。その穴からあなたはこの現世を観察していたのです。
一葉 痛い。もっとやさしく揉んでくださいよ。
―――失礼しました。お喋りに熱中しているうちについ力が入ってしまいました。わたしはこう想像するのですよ。あなたの御両親は信心深かった。幼いあなたに佛教のイロハである縁起や因縁について熱心に説いたにちがいない、と。
一葉 いい気持、いい気持。
―――縁起や因縁を一言でいってしまえば、あらゆる物事は因縁によって生じたもの、そのこと自身にはなんの実体もない。つまり生滅変化がこの世のすべて、永遠不滅の実体はない。したがって我もまた幻である。長島茂雄という名のスーパースターが「巨人軍は永遠に不滅です」と言って拍手喝采をうけましたが、ありゃ佛教徒の言うことじゃありませんね。あなたから見たらチャンチャラおかしいでしょう。
一葉 もっとこっちを揉んでちょうだい。
―――ヘイヘイ。そういった無常観に育てられてやがて人となったあなたはついに自ら戒名を付けて死の世界に移り住み、そこから現世に向けてものを書いた。つまりあなたの小説はお経なんですね。だから声を出して読めば調子がよろしい。そして感動もする。
一葉 ここを揉んでと言っているのに。手をかして。ほら、ここですよ。
―――やっ、一葉先生、そこはあなたの乳房ではありませんか。
一葉 これもサービスのうちで。へい、ご主人様。
―――ギャーッ!
おわりに
わたしは馬頭の鬼の胸毛らしきものを数本、手に握ったまま、下総国分寺の墓地で気を失っていた。わたしをたすけおこしてくれたのは寺男だった。彼が言うには、馬頭の鬼は、じつは地獄の獄卒の馬頭羅刹のことで、こいつはときどき人間を化すそうである。このことがあってから、わたしは一葉という人がますますわからなくなった。
(the座 P10)聞き手の井上ひさしが出会ったという馬頭の鬼は、地獄の獄卒の馬頭羅刹であったと思われる。フンドシ一本で立っているのがその馬頭。(角川書店刊『日本絵巻物全集』第七巻所収「地獄草紙・沸屎地獄」より)
▶この対談が収められているのは…?
井上ひさしが中心となって編集し、劇団こまつ座の公演紹介も兼ねた雑誌『the座』。貴重かつ入手困難な創刊号では、井上自身の戯曲を公演する劇団の記念すべき第1回公演『頭痛肩こり樋口一葉』を特集しています。
初出:P+D MAGAZINE(2016/10/04)