新連載【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール
池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する、新連載がスタート!内閣制度や、国のあり方を定めた憲法(大日本帝国憲法)をつくりあげたことでも有名な、「伊藤博文」について解説します。
第1回
第1・5・7・10代内閣総理大臣
伊藤博文
1841年(天保12)~1909年(明治42)
明治国家の土台を築いた制度づくりの天才!
Data 伊藤博文
生没年 1841年(天保12)9月2日~1909年(明治42)10月26日
総理任期
(第1次)1885年(明治18)12月22日~88年(明治21)4月30日
(第2次)1892年(明治25)8月8日~96年(明治29)8月31日
(第3次)1898年(明治31)1月12日~6月30日
(第4次)1900年(明治33)10月19日~01年(明治34)5月10日
通算日数 2720日
所属政党 立憲政友会
出生地 山口県光市束荷(旧周防国熊毛郡束荷村)
別名・号 利助(幼名)、俊輔、春輔、舜輔、春畝、滄浪閣主人
ニックネーム 牡丹伯、憲法伯、八方美人、箒
墓 所 東京都品川区西大井の伊藤家墓所
近代日本の諸制度を創設し、明治国家をかたちづくったのが伊藤博文です。長州藩の尊王攘夷の志士として倒幕に奔走したあと、明治新政府に仕官すると、官僚として外交、貨幣制度改革などで活躍。木戸孝允や大久保利通の遺志をひきつぎ、立憲政治の実現のために大日本帝国憲法の立案を主導します。同時に旧式の政治制度を廃して内閣を創設し、初代内閣総理大臣に就任しました。総理を4回つとめたのちは、韓国統治の責任者となります。韓国併合の推進者として暗殺されましたが、近年の研究では、伊藤は併合には反対であったといわれています。
伊藤博文はどんな政治家か 池上流3つのポイント
1 攘夷派の志士から初代総理大臣へ
伊藤は小作農の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学びました。高杉晋作らとの英国公使館焼き討ちなど、攘夷活動を行なったのち、英国へ留学。西欧文明に接して開国派に転じます。長州閥トップの木戸孝允に従いつつ、薩摩の大久保利通や公家の岩倉具視らとも藩閥を超えた協力関係を築き、政権の中枢へ登りつめていきました。
2 立憲政治導入の父
日本の近代化のためには、憲法に基づく立憲政治を確立することが必要でした。伊藤は、政治行政の基礎となる制度を西欧から次々と導入するとともに、日本の実情にあった憲法づくりに努めます。また、議会における政党の実力を認識し、自らの政党である立憲政友会を創設。現実的な思考と、着実な政策推進力をもった政治家でした。
3 韓国統監府の初代統監
英国留学、岩倉使節団、欧州への憲法調査などを通じ、伊藤は外交力を磨いていきます。日清戦争の講和条約や日露交渉では、柔軟かつ毅然とした姿勢で臨みました。初代韓国統監に就任したことから、韓国植民地化の最大の推進者という見方もありますが、伊藤は韓国併合には慎重であり、評価が分かれるところです。
伊藤博文の名言
大いに屈する人を恐れよ。いかに剛に
みゆるとも、言動に余裕と味のない人は
大事をなすにいたらぬ。―出典不明
財産、生命、名誉を全うするは人の権利なり。
故に政府を作って、一個人民の人権を保護す。
之を政事(政治)と謂う。
政事は、人権を全うせしむる所以の方便なり。―伊藤の随筆から
本当の愛国心とか勇気とか云うものは、
肩を聳やかしたり、目を怒らしたり
するようなものではない。―日清戦争後の愛国主義への意見
揮毫
「報国丹心未譲人」 春畝山人博文書
伊藤公資料館蔵
丹心とは真心のことで、国を思う私の心は誰にも負けない、という意味。春畝山人は伊藤の号。揮毫年代は不詳。
人間力
◆ 物怖じを知らない周旋(仲立ち)の名手
伊藤は生来の楽天家。外国人ともすぐにうち解けることができる人懐っこさがあり、その人柄は宮中、薩長のへだてなく好まれた。木戸孝允が台湾問題から野に下った際は、木戸・大久保利通・板垣退助の連携を周旋し、木戸を政府に復帰させている。また、立憲政友会を結成した際も、伊藤系の官僚と憲政党メンバーとの合流をスムーズに成し遂げた。
◆ 実力本位の人材起用
明治政府は薩長中心の藩閥政府であり、官僚ポストは藩閥に左右されることが多かった。しかし、伊藤が憲法草案作成のために起用した官僚らは、長州閥とは関係ない。草案づくりの過程では、自分を上司ではなく同志とみるよう促して、彼らに意見を述べさせた。閣僚人事にあたっても、肥前の大隈重信や紀州の陸奥宗光を外務大臣に起用して、条約改正にあたらせた。
◆ 清廉(せいれん)潔白が信条
明治政府の高官の多くが賄賂によって私腹を肥やしたといわれているのとは対照的に、伊藤は金銭にはきわめて淡泊で、賄賂を贈らず受け取らず、邸宅も豪華ではなかった。この清廉さには、政治的に対立した者ですら称賛を惜しまない。陸軍中将の三浦梧楼は、「如何に伊藤を攻撃する者でも、金銭に関してかれに非難を加えたものは一人もいない」と述べている。
(池上彰と学ぶ日本の総理14より)
初出:P+D MAGAZINE(2017/07/14)