【古事記の神代を学ぼう】日本神話を楽しく語る:その1 天地開闢(てんちかいびゃく)

神話は好きだけど、『古事記』や『日本書紀』は難しくて嫌い……。そんな人たちのために、『古事記』の神話の世界をわかりやすく紹介していきたいと思います。なお、このシリーズでは、『古事記』に登場する神々の名前は漢字ではなくカタカナ表記で統一することにします。また、尊称の「の神」や「大神、大御神」や「命」などは省いています。

はじめに

日本の現存最古の歴史書は『古事記』と『日本書紀』だけと言われています。(諸説あります)
どちらも7世紀に国家、天武天皇の勅令で編纂がはじまりました。それがようやく8世紀に入って、『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に完成した歴史書です。

では、『古事記』と『日本書紀』の内容は同じか、というと、同じところもあれば大きく異なっているところもあります。この違いが生じる原因は、『古事記』は国内向けに、天皇家の歴史を中心に書かれているのに対して、『日本書紀』は国外に向けて、日本で起こった出来事を年代順に記載されているという点にあると思われます。

つまり、『古事記』は、天皇家による国家統一の正当性を国民に知ってもらうために書かれたもので、『日本書紀』は、外国、特に中国に対して日本という国をアピールするために書かれた、国家事業として編集した歴史書だということです。

また、その編纂に関わった人たちも異なっています。『古事記』は、(ひえ)田阿(だのあ)()が暗記していた内容を語ったものを(おおの)(やす)万侶(まろ)が記録し、『日本書紀』は、皇族や川島皇子らが、天武天皇に命じられて編纂をはじめて、天武天皇の死によって一時作業が中断されましたが、最後に舎人(とねり)親王(しんのう)らが完成させました。

構成も違います。『古事記』は「神代篇」の「上つ巻」、「人代篇」の「中つ巻」、同じく「人代篇」の「下つ巻」の3つの巻で成っていて、この3巻のうち1巻丸々が神話を語っています。これに対して、正史である『日本書紀』は30巻という膨大な巻数から成っていますが、神話が語られているのはそのうちの2巻だけです。

このシリーズでは、『古事記』、それも「神代篇」を取り上げて、みなさんを日本の神話の世界へとご案内します。

その1 天地開闢

はじめは天も地も何もなく、世界は混沌としていました。渦を巻いていたような状態で、そこには神さますらいませんでした。

高天原(たかまのはら)に神、現る

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しかし長い時を経て、やがて、天と地が分かれたとき、天空に浮かぶ高天原に、突然、アメノミナカヌシという神が現れました。それに続いてタカミムスヒ、その後にカムムスヒという神が現れました。

この3柱の神はいずれも独り神で、現れたかと思うと、すぐに身を隠してしまいました。

「アメノミナカヌシ」というのは、『古事記』に登場する最初の神で、漢字で書くと「天之御中主」となります。これは「天の主の神」です。どういう神かというと、宇宙の中央に留まって世界を支配する神、つまり宇宙の根源の神のことです。ですから、現れたらすぐに目に見えない存在になって、宇宙のすべてを司る存在になってしまった、というわけです。

「柱」というのは、神さまや貴人を数えるときに使われる言い方です。神さまは「1人、2人」とは数えずに、「1柱、2柱、…」と数えるのです。また「独り神」というのは、男と女に分かれる前の神、つまり()(がみ)()(がみ)の両方を備え持った神のことです。

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この時、大地は、まだ土と言うにはやわらかくて頼りなくて、水面に浮かんで漂う脂身のような状態だったそうです。

それがやがて、泥の中から葦の芽のように萌え出てきたものがあって、そこから、まずは、ウマシアシカビヒコジが現れ、続いてアメノトコタチが現れました。この2柱の神も独り神で、やはり現れてすぐに姿を隠してしまいました。

アメノミナカヌシからこのアメノトコタチまでの5柱の神は、天地開闢の時に現れた特別な神ということで、「(こと)天神(あまつかみ)」と呼ばれる存在です。

その後、クニノトコタチとトヨクモノが現れて、すぐに身を隠してしまいます。この2柱の神も独り神でした。

イザナキとイザナミの誕生

ようやく男神と女神が現れたのはこの後です。まずウヒジニとその妹のスヒチニが現れます。この2柱は兄と妹の関係を持つ男女の対偶神ですが夫婦になります。この1組に続いて同じように男女の対偶神が4組、ツノグヒと妹のイクグヒ、オホトノヂと妹のオホトノベ、オモダルと妹のアヤカシコネが次々に現れ、いずれも夫婦になります。そして最後に、後に日本の国生みと神生みを成し遂げるイザナキとその妹のイザナミが現れたのです。

これら、別天神の後に現れたクニトコタチから最後のイザナミまでの神々を、「(かみ)()(なな)()」と呼びます。どうして七代なのかというと、独り神のクニノトコタチとトヨクモノはそれぞれに(ひと)()、その後の男女対偶神は1組で一代と数えられるので、合計七代ということになる、というわけです。

さて、そこで、(あま)(かみ)(高天原に住むすべての神々)は、その総意として、最後に誕生したイザナキとイザナミに、「この下に漂っている国を修めまとめ固めよ」と命じます。そして、アメノヌボコという、とても立派な(ほこ)を授けたのです。

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イザナキとイザナミは、天つ神の命を受けて、(あめ)浮橋(うきはし)に立つと、そのヌボコの先を下に向けて泥まじりの海の中にズッと突き刺しました。そして、コオロコオロと音を立てて海水をかきまぜてから、そのヌボコの先を海水の中から引き上げました。

と、その時にヌボコの先からしたたり落ちた海水が固まって塩になり、それが積もり積もってひとつの島になったのです。これがオノゴロ島と呼ばれる島です。自然に固まってできた島という意味で、これが地上に最初に出現した島です。しかしそれがどこにある島なのかは、未詳だとのこと。

その島を見て、イザナキとイザナミは、天の浮橋からそこへ降りていきます。これがイザナキとイザナミの天降(あも)りです。つまり、神々の住む天空の世界から地上へ降りていったのです。

おわりに

次回からはいよいよイザナキとイザナミの国生みと神生みのお話がはじまります。
今回は、「天地開闢」ということで、舌をかみそうな名前の神々がいろいろと誕生しましたが、ほとんどの神は再び古事記の世界に登場することはありません。

最初に現れた神はアメノミナカヌシだということと、イザナキとイザナミが高天原から地上へ降りて、これから日本づくりをはじめるということだけ心に留め置いて、次回へ進んでいきましょう。

 

<註釈>
1 天地創造に関して、旧約聖書ではその場面が描かれていますが、古事記では、その経緯については記述がありません。冒頭に「天地初発之時……」とあるだけです。そしてその天地が出現した時に、最初の神が現れたと言っているだけです。
これに対して、日本書紀では「混沌から陽と陰が分かれて天と地になった」といったような内容で記述されています。
このように記紀(古事記と日本書紀のこと)で異なる理由は、最初の方でも少し触れていますが、日本書紀は対外向け、ことに、陰陽思想を重視する中国を意識して書かれたものだというところにあります。

2 神々の兄と妹の結婚については、ギリシャ神話など、世界的にもよく見られることです。これは、世界のはじまりにおいて、一対の男女によって世界や人間が生み出されていったとする語り方で、兄妹始祖神話と呼ばれるものです。神々の世界では、兄と妹の結婚、あるいは姉と弟の結婚は理想的だとされていたようです。

 

参考文献:『口語訳 古事記 [完全版]』文芸春秋/三浦佑之
     『現代語 古事記』学研/竹田恒泰
     『新版 古事記 現代語訳付き』角川ソフィア文庫/中村啓信
     『現代語訳 日本書紀』河出文庫/福永武彦

初出:P+D MAGAZINE(2019/08/12)

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