◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第3話 Good boy! Good girl!〈前編〉

◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第3話 Good boy! Good girl!〈前編〉

槌田の次の研修先は、国際郵便を扱う東京税関東京外郵出張所だ。

「すみません、お待たせしました!」

 英の声に槌田はソファから立ち上がる。早足で近づいて来る英は不思議なことにさほど汗を掻いていない。槌田が怪訝な表情になりきる前に「汗はあまり掻かない体質みたいで。新陳代謝が良くないんだと思います」と、答えてきた。相変わらずの察しの良さに感心するよりも、昨日から抱えている懸念のことも含めて、槌田は恐れをなしはじめる。

「違いました?」

「いや、当たりだ」

「でも、何かありそうですね」

「なんか特別な能力とかあるんじゃないかってくらいの的中率で、正直、ちょっと引いてる」

 本音を漏らすと、英がすぐさま「すみません」と謝罪した。

「ツアーコンダクターをしていたとき、出来るだけお客様から言われる前にと心がけていたもので」

 ぺこぺこと頭を下げながら早口で言われて、槌田も慌てて言い返す。

「いや、謝られることじゃない。すごいなと思っただけだ」

 英のことだ。この先、延々と謝り続けそうなだけに、槌田はちらりと腕時計に目をやる。時刻は八時五十分になっていた。

「時間ですね、行きましょう」

 最後にもう一度頭を下げてから歩き出した英のあとに、槌田は続いた。その背を見つめる槌田の感情は複雑だ。迷うことなく英は進んで行く。勝手知ったるという様子に「以前に所属してました?」と訊ねる。

「いえ、ないです。成田の旅具から調査部検察審理官、次が羽田の旅具でまた調査部検察審理官です。一度調査部検察審理官に任命されると、他に行ってもまた戻ってくる感じですね。公的機関ですから異動は定期的にありますが、やはり経験者を配属したい。このあたりは警察も同じじゃないですか?」

「そうだな」とだけ同意する。

 刑事畑に踏み出した警察官は、よっぽどのことでもしでかさない限りは、内勤へ異動しても次の異動でまた刑事畑に戻るのと同じだろう。

「ここは私たち本関調査部門の管轄ですから。頻繁にとまでは言いませんが、残念ながら来る機会はけっこうあるので」

 羽田国際空港は羽田支署内の調査部が担当しているが、それ以外の東京外郵と青海(あおみ)と城南島にあるコンテナ検査センターは本関の調査部の管轄だったことを槌田は失念していた。何度も来ているのだから、英が内部に詳しいのは当然のことだ。

「まず、各部の紹介を。そのあとに実際に通関の見学です。ああそうだ、最初に昼食をどうするか聞いておかないと」

「どうすると言うと?」

「お気づきだと思いますが、この周辺には飲食店も販売店もあまり多くなくて」

 道中見てきたが、飲食店は駅周辺に集中していた。一番近くのイオンでも、昼食時の最も暑い時間帯に往復したいとは思えない。

 税関庁舎内にはサンドウィッチなどの軽食の自販機はあるが食堂はない。郵便局にはあるが使用する人数が多いこともあって忙しない。だから仕出しのお弁当屋にまとめて発注しているのだと、英が歩きながら説明してくれる。

「仕出しの弁当を頼むよ」

 ドアの前で立ち止まった英は「良い選択です。総務に頼んでおきます」と言うと、ノックしてから、ドアを開けた。

「こちらは国際郵便物の税関手続きについての相談窓口です。直接来る方と電話での相談に税関相談官が平日は朝九時から、昼の休憩を挟んで夕方五時まで。土曜日は九時から十二時まで対応しています」

 ちょうど九時になった。デスクの電話の何本かが鳴り始める。席に着く税関相談官がすぐさま受話器を上げて応対を開始した。

「ここの電話相談窓口だけでなく、通関第一部門も電話での相談に応じています。そちらは主に、『外国から到着した郵便物の税関手続のお知らせ』を受け取った方と、『通信販売で購入したものを郵便で返送する場合の手続き』をしたい方が中心ですが」

『外国から到着した郵便物の税関手続のお知らせ』は、貨物の中に法に触れる通関できない物が紛れていたか、あるいは確認のために保留している場合、受取人に簡易書留で送るはがきのことをいう。『通信販売で購入したものを郵便で返送する場合の手続き』は、受取人が通関を終えた貨物を受け取り後、何らかの理由で返品する際、輸入時に納めた関税等の払い戻しを受けるための手続きのことを指す。

 どちらも総合相談窓口よりも、実地で担当している通関部門に直接相談した方が話が早いということだろう。

「では、通関部門に行きましょう」

 英に促された槌田は、相談官たちに会釈してから室外へと出た。

 

 通関部門に足を踏み入れた槌田は、思わず立ち止まって周囲を見回した。座学のときに研修用DVDの映像で観ていたが、実際に来てみるとその広さに圧倒される。高い天井にはむき出しの蛍光灯が列び、グレーの柱が立ち並ぶ巨大な倉庫状の室内に、銀色の駆動コンベアーが整然と配置されていて、その周囲には貨物の積まれた大きなカゴ台車がいくつも並べられている。郵便局に近い壁際の天井からは税関提示装置と書かれた黄色いパネルが点々と下がっていた。

 槌田の視線に気づいた英が「税関提示装置は全部で七台、その近くにX線検査装置もあります」と告げてきた。

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日明 恩(たちもり・めぐみ)

神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。2002年『それでも、警官は微笑う』で第25回メフィスト賞を受賞しデビュー。他の著書に『そして、警官は奔る』『埋み火  Fire’s Out』『ギフト』『ロード&ゴー』『優しい水』『ゆえに、警官は見護る』など。

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