芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第12回】大人の恋は若者にはファンタジーだね

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第12回目は、林真理子の『最終便に間に合えば』について。大人の孤独と狡猾さを表現した、直木賞受賞作を分析・解説します。

【今回の作品】
林真理子 『最終便に間に合えば』 大人の孤独と狡猾さを表現した作品

大人の孤独と狡猾さを表現した、林真理子『最終便に間に合えば』について

今回は林真理子さんです。『野心のすすめ』がベストセラーになりましたね。でも彼女の作品は大人の読者が多いので、若い人にはなじみがないかもしれません。1982年といえばいまから30年以上も前のことになりますが、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』という大ベストセラーを出して、突如として有名人になった人です。バブル経済の絶頂期に向かう時期の、プチ贅沢をささやかに楽しむという、当時の若者の心をとらえたエッセーから出発した作家ですが、やがて小説を書くようになりました。

ぼくがすごいと思ったのは『葡萄が目にしみる』という青春小説です。これ、ほとんど自伝ではないかと思われるような作品なのに、作品の全体にユーモアがあふれていて、センチメンタルなところが少しもない。これほど自分を突き放して戯画化できる人は、有名作家でもめったにいないと感じました。

この作品のヒロインは農家の娘で、林さん本人は本屋さんの娘なので、設定はフィクションなのですけれども、このヒロインの田舎者的な感性と、でもここから脱出したいというピュアな「野心」とは、作者そのものではないかと感じられます。要するに山梨県で育った向上心の強い女の子の成長物語で、実際の林さんは東京の大学に入り、広告会社に勤めてコピーライターになり、さらにエッセーでベストセラーを出したあと、小説家に転進し、そして直木賞という、将棋でいえば「歩」が裏返って「成金」になったような人生を歩んだわけですね。

都会のキャリアウーマンの内面を捉える

でも田舎の純粋な女の子にとっては、広告業界に就職してキャリアウーマンになるという、林さんにとっては「歩」の時代の環境でさえもが、あこがれの生活であり、夢のまた夢みたいなおしゃれな環境なのかもしれません。
直木賞を受賞した短篇集『最終便に間に合えば』はまさにそういうおしゃれな環境にあるキャリアウーマンの、「大人の恋」を描いた作品集です。

田舎の高校生が読んだら、これってファンタジーでしょ、と感じるような、仕事では成功しながら心の奥底に虚しさを感じている、もう若くはない女、というようなキャラクターが、ちょっとつらいね、と口では言いながら、でもわたしって田舎の女の子とは違うのよ、という達成感をちらつかせる、読み方によってはイヤミな感じの作品なのですが、登場人物の心理のとらえ方が深いというか、意地が悪いというか、そーなんだなー、という感じで読めて、なかなかの作品だということは認めないわけにはいかないでしょう。

田舎の女の子が読めば、いつかはあたしもこんな感じになりたいという、人生の指針となるような作品かもしれませんし、わたしはこんなふうにはなりたくない、ささやかでチープでもいいから、背伸びをしない生き方がしたいと感じる、反面教師みたいな作品なのかもしれません。

向上心を持った強い女性を描く

林さんはその後、近代の実在の人物を描いた一種の歴史小説の分野でも名作を書かれています。やっぱり向上心をもった強い女がヒロインで、読者の多くは、読んでいる間はヒロインの華麗な人生にあこがれを感じ、はらはらドキドキして作品を愉しむことができるでしょう。でも、読み終えたあとに、自分の平凡な人生を思って、ちょっと寂しくなる、ということはあるかもしれません。

野心をもった林さんのような人にとってはリアルな世界でも、平凡でチープな生活を送っている読者にとっては、夢のようなファンタジーと感じられることになります。まあ、ファンタジーというのは、そういうものです。誰もが白雪姫になれるわけではありませんし、ファンタジーの世界の住人のように見えた登場人物も、実は悩みながら幸せを求めて生きている普通の「人間」なのです。林さんの作品は、白雪姫でなくても幸せになれるという、現代のおとぎ話なのではないでしょうか。

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初出:P+D MAGAZINE(2017/01/26)

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