古山高麗雄『プレオー8の夜明け』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第74回】死と隣り合わせのユーモア

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第74回目は、古山高麗雄『プレオー8の夜明け』について。敗戦後の囚人体験を軽快な筆致で描いた作品を解説します。

【今回の作品】
古山高麗雄プレオー8の夜明け』 敗戦後の囚人体験を軽快な筆致で描く

敗戦後の囚人体験を軽快な筆致で描いた、古山高麗雄『プレオー8の夜明け』について

小旅行やクラブの合宿などで、気の合った仲間たちと数日間をともにするというのは、皆さんも時々体験することだろうと思います。話題が豊富でそれなりに個性のある連中と、朝から晩までいっしょにいると、次々と楽しい話が飛び出して、時のたつのを忘れるほどで、これをそっくり記録すれば、おもしろい小説になるのではないか、などと考えたことがないでしょうか。

でも、そういうのは、たいていうまくいかないのですね。その場に居合わせたメンバーにとっては楽しいことでも、赤の他人にとってはどうでもいいということですし、当事者だけが盛り上がっているのを第三者として眺めるというのは、むしろ不快な体験になってしまいます。この作品は、状況としては、男ばっかりの合宿みたいなものです。もっともそこは終戦直後のベトナムで、戦争で捕まった未決の戦犯容疑者の収容所なのですが。

この連載で何度も書いていることですが、ぼくは老人ですけれど、戦後生まれです。昭和の日本人は、戦争を知っている人と、知らない人に大別されます。そして何となく、戦争を知っている人は、知らない人に対して、優越感をもっている感じなのですね。そして、戦争を知らないぼくたちは、何となく、年上の人たちに戦争の話をされると、恐れ入ってしまいがちです。で、時として、もういいかげんにしてよ、と言いたくなってしまいます。

この作品も、戦争をテーマにはしているのですが、書きぶりが自慢げではなく、少し引いて、わざととぼけているようなところがあって、好感がもてます。この少し引いた感じが、いかにも古山高麗雄さんらしいところです。

編集者から、思いがけず作家となる

古山さんとは、何度も会ったことがあります。仕事ではなく、新宿の飲み屋ですね。古山さんは作家志望であったことはなく、長く編集者をつとめていました。その腕前を評価されて、文芸、音楽、美術の評論家三人が、『季刊藝術』という雑誌を企画した時に、請われて編集長として参加しました。ところが、頼んでいた作家が急病で原稿が書けず、雑誌に穴があきそうになった時、文芸評論家の江藤淳さんの提案で、穴埋めの原稿を書いたのが、小説を書くきっかけだったのです。

小説といっても、ほとんどエッセーに近いものだったのですが、日本には私小説の伝統がありますから、古山さんの作品は注目されました。そして思いがけず、他の文芸誌から原稿の執筆を依頼されて書いたのが、この作品だったのです。それで芥川賞をとってしまい、自分でも思いがけず作家になってしまいました。古山さんは生涯にわたって、自分が作家になったということに、照れくささのようなものを感じておられたのではなかったかと思います。文壇バーで飲んでいる時にも、そういう、ちょっと引いた感じがあって、それが独特の魅力になっていました。

さて、この作品のことなのですが、タイトルの「プレオー8」というのを、何と読めばいいのか。フランスの植民地だったベトナムの収容所なので、フランス語で8を表す「ユイット」と読むべきなのですが、それではおシャレすぎる感じがします。まあ、読み方はどうでもいいでしょう。当時のベトナムは安南とも呼ばれていました。ベトミンと呼ばれるベトナム人のゲリラがいたり、戦争犯罪を問われたフランス兵がいたり、そういう多国籍の収容所の8号館に、日本兵が収容されていたのですね。戦犯といってもB級かC級なのですが、戦争末期の、日本兵さえ食べるもののない時期に、捕虜が餓死したりすると、殺人罪に問われかねないという、そういう状況だったのですね。

読者の共感を生む、悲惨な状況の描き方

大岡昇平の『俘虜記』などを読むと、南洋諸島の日本兵は悲惨な体験をしたようですが、ベトナムの収容所にいる日本兵はどことなくのんびりしています。戦場で逮捕されたわけではなく、終戦後に取り調べを受け、一週間ほど収監されればすぐに釈放されるという話を聞いて、自ら収容所に出頭したところが、いつまでたっても判決が出ず、長期間の拘置が続いた上に、死刑判決もありうるという噂が流れたりもします。そういう状況なのに、日本兵たちはのんびりしていて、つまらない冗談を言ったり、悪ふざけをしたりという、その気の抜けたような感じが、かえって死に瀕した人間たちの、わびしいユーモアと、悲哀に満ちたペーソスになっているのです。

戦後生まれのぼくたちは、もちろん戦争の体験を書くことはできないのですが、私小説を書く人の中には、貧乏や病気の体験を、これでもかという感じで悲惨さを強調して、得意げに書く人がいます。貧乏や病気というマイナスの要素が、逆に小説を書く場合には特権意識のようなものになって、いやみな感じになってしまう。これは困ったことです。

むしろわびしい感じのユーモアで包んで、少し引いた感じで書くと、読者も安心して、自分の体験していない困難な状況を、笑ったり、少し同情したりしながら、愉しんで読むことができます。そういう少し引いたスタンスをこの作品で学んでいただければと思います。

でもこの独特のスタンスは、古山高麗雄という人の、独特の人柄によるものだったのかもしれません。けっして自慢げな口調ではなく、いつも穏やかに、照れくさそうにしている古山さんの姿が、いまも目にうかびます。ぼくも、あんな感じの高齢者になりたいと思うのですが、さて、そんな愛される老人に、いつになったらなれるのでしょうか。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/08/22)

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