長嶋有『猛スピードで母は』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第96回】新しい時代の母親のイメージ

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第96回目は、長嶋有『猛スピードで母は』について。現実に立ち向かう母を子ども目線で描いた作品を解説します。

【今回の作品】
長嶋有猛スピードで母は』 現実に立ち向かう母を子ども目線で描く

現実に立ち向かう母を子ども目線で描いた、長嶋有『猛スピードで母は』について

長嶋有さんは、文學界新人賞を受賞した『サイドカーに犬』という作品で、颯爽とデビューした作家です。当時、ぼくも犬を飼っていましたので、このタイトルを見て、おおっ、と思いました。すでに老犬となっていた犬との散歩が、あまり愉しくなくなっていた時期でした。ぐんぐんぼくを引っぱっていくような犬の勢いがなくなって、遅れ気味にヨタヨタと歩く犬の姿を見て、悲しくなったりしていましたので、この犬をサイドカーに乗せてバイクでスッ飛ばしたら、犬も喜ぶのではと思いました。まあ、ぼくには自動二輪の免許もありませんから、実際にサイドカーを運転するつもりもなかったのですが、とにかくサイドカーに犬を乗せる話なら、読んでみたいと思いました。

でも作品を読んでみると、犬の話ではありませんでした。小学校高学年の少女がヒロインで、神経質な母親が家を出ていったと思ったら、ただちに父の愛人らしい女が家に入ってきて、お母さんの代わりをしてくれるという話です。その愛人のキャラクターが、カラッとしていて、悲惨な家庭環境の話のはずなのに、プロットがさらさら流れていく爽快感が、とても印象的でした。確かに一瞬、サイドカーに乗った犬が出てくるのですが、サイドカーに乗せられたその犬の状態が、ヒロインの状況と重なるということなのでしょう。

この作品は芥川賞の候補にもなりましたが、強く推す選者もいた反面、反対意見も多く、受賞には到りませんでした。反対した人は、「軽すぎる」という印象をもったようです。これは結局、女の子と継母の物語なのですが、それをあまりにもさらっと語っているので、ものたりなさを感じたということでしょうか。

登場する女性の現代的なキャラクター

その次の回の選考会で、長嶋さんは過半数の支持を得て受賞しました。それがこの『猛スピードで母は』という作品です。
前回は少女と継母、という設定でしたが、今回は少年と実母の母子家庭が描かれています。これも設定からすると暗くなりそうに思えるのですが、前回同様、文章はさらさら流れていきます。当然、選評の中にも「軽すぎる」という声があったのですが、今回は少数派でした。半ば以上の選者が、長嶋有さんの文体に慣れてきたということかしもれませんし、この設定をこの文体で軽く描くというのが、この作家の戦略であり、文学的な試みであり、画期的な方法論だということに、選者の多くが気づいたということでしょう。

2つの作品を比べてみると、継母と実母という違いはあるのですが、この女性のキャラクターはよく似ています。強くて、明るくて、やや雑な感じがする。それまでの日本人男性が好んでいた、控え目で、じっと耐えている女というイメージの、対極にあるような人物像です。そこのところが、新しいかといえば、夏目漱石の『三四郎』に出てくる女性も、同じような感じなので、昔から文学作品の一種の定番キャラクターという感じもします。しかし、それが継母であったり、母子家庭の母親だったりすると、いかにも現代的な状況だといえるのかもしれません。

長嶋有さんはその後も、プロの作家として大活躍されています。『サイドカーに犬』は映画化されましたが、長嶋さんの原作の『ジャージの二人』という映画もあって、ここでは犬(しかもぼくの飼い犬と同じハスキー犬)が大活躍します。この映画は、ぼくの好きな日本映画のベスト3に入る作品です。それから、ブルボン小林という名前でマンガを描いたり、マンガ評論を書いたりもされています。とにかくふつうの作家ではない、独特のスタンスで仕事をされているユニークな作家ですが、谷崎賞を受賞するなど、作家としても着実な実績を残している、すごい作家です。

重い内容を軽く無駄のない文体で描く

長嶋さんの文体は、軽くてテンポがいい。軽い文体というと、むだの多いおしゃべり調の文章を連想しがちですが、長嶋さんの文章は違います。軽いのだけれど、とぎすまされている感じで、的確にむだが省かれ、刈り込まれている感じがします。少し刈りすぎではと思われるほどに、テンポが早いので、読み始めのころは不安な感じがしないでもなかったのですが、若い読者にとっては、ちょうどいいテンポなのかもしれません。

ぼくが芥川賞をもらったのは、40年前のことですが、やはり文章が軽いといわれました。当時のぼくにとっては、軽く書くというのは、実はとても難しいことでした。試行錯誤を重ね、むだを徹底的に省くことによって、ようやくその文体にたどりついたのです。長嶋さんは、ぼくの息子くらいの年齢ですから、この文体は、ごく自然にすらすら書けたのかもしれませんが、いまの若い人たちが真似しようとしても、案外、難しいのではないかと思われます。

とにかく、一度、読んでみてください。文学部の学生は、こんなふうに軽くは書けません。昔の作品を読んだりする影響でしょうか、意外にもっともらしい理屈っぽい文章を書きがちです。小説を書くんだという身構えた気持ではなく、肩の力を抜いて、さらっと書く。もしかしたらいまの若者にとっても、けっこう難しいことなのかもしれません。長嶋さんのこの受賞作は、軽く書きながら選考委員の老人たちにも褒められた、いわばお手本のようなものです。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/08/27)

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