放送中止に!? 絶体絶命の事態! 七菜はスタッフに事情を説明しなくてはならないが……。 【連載お仕事小説・第24回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評連載、第24回。主人公の七菜(なな)は、いつも仕事に全力投球! なんと、不測の事態が起こる。制作中のドラマ『半熟たまご』の原作者・上条朱音の息子・聖人が大麻所持の罪で現行犯逮捕により、放送中止が決まってしまったのだ。チーフプロデューサーである七菜は制作スタッフに事情を説明することになって……。

 

【前回までのあらすじ】

ドラマの撮影もいよいよ終盤。頼子の代わりを務める七菜は、テレビ局との最終調整も増え、今まで以上に忙しい毎日をおくっていた。そんなある日、メイクチーフの愛理から「今すぐツイッターを見て!」との連絡が。画面を開いた七菜が見たのは、「小説家、上条朱音さんの息子、大麻所持容疑で現行犯逮捕」の速報だった……!!

 

【今回のあらすじ】

朱音の息子・聖人が起こした不祥事ではあるが、世間は「子どもの不始末は親の責任」と、朱音批判一色になっていた。テレビ局は制作中のドラマの放送中止を決定し、スポンサーも降りてしまうという絶体絶命の事態。チーフプロデューサーである七菜は、撮影スタッフに撮影中止の事情を説明することになって……。

 

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」のAP(アシスタントプロデューサー)、31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

佐々木拓(ささき たく):七菜の恋人。大手食品メーカーの総務部に勤めている。

上条朱音(かみじょう あかね):ドラマ『半熟たまご』の原作者。数々のベストセラーを持つ小説界の重鎮。教育評論家としても名高い。

岩見耕平(いわみ こうへい):チーフプロデューサー。七菜の上司。

 

【本編はこちらから!】

 

 アッシュの事務所は朱音のマンションから歩いて数分のところにある。さきに到着した七菜は、誰もいない会議室で耕平の帰りを待つことにした。
 いまごろ現場はどうしているだろうか。パイプ椅子に座り、落ち着かない気持ちで考える。
 聖人逮捕のニュースはみな知っているに違いない。けれどみなプロ中のプロだ。きっと不安を感じながらも、やるべきことを粛々とこなしているだろう。李生はうまくやっているだろうか。大基はちゃんと働いているのか。現場のようすを想像してはあれこれと考えてしまう。
 止そう、よけいなことを考えるのは。
 気持ちを切り替えるため、七菜はリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を入れた。画面に映ったのは、主婦向けのワイドショー。『小説家・上条朱音さんの息子、大麻所持で逮捕!』というテロップが画面上部を占めている。右端にMCを務める芸人と女性の局アナが立ち、左手の机に、数人のコメンテーターが座っている。七菜の目がテレビに吸い寄せられてゆく。
「どう思いますか、三浦みうらさん。同じ教育評論家として今回の事件を」
 芸人が、片手を司会台に預けたポーズで問いかけた。話を振られた五十代後半の男性が、机の上で両手を組み、深刻そうな声音で話しだす。
「いやあまずいと思いますよ。聖人容疑者は学習困難家庭の子どもたちに無料で勉強を教えるNPО法人の理事長だっていうじゃないですか。いわば校長先生がクスリに手を出したようなものでしょう。塾に通う子どもたちはもちろん、ほかの青少年に与える影響もはかり知れないと思いますし」
 ほかのコメンテーターがいっせいに頷く。吸ったと決まったわけでもないのに。七菜のこころに怒りがわく。
「あたしは母親である上条先生の責任も大きいと思うな。テレビや小説であれだけ上から目線で教育について語ってるのにさ、当の本人が息子の教育に失敗してるわけじゃない?」
 三浦の隣に座る中年女性が口を挟んだ。本業は小説家だが、本を出すよりワイドショーやクイズ番組で見かけることのほうが多い作家だ。
「いままで書いてきたことってなんだったのよって気になってくる。信頼できないよねー全然」
 口調が刺々とげとげしい。性格のきつい朱音のことだ、きっとテレビや文芸の世界でも敵が多いに違いない。
 いたたまれなくなり、チャンネルを替える。だがその局でも聖人の事件を扱っていた。同じようなテロップが躍り、街行くひとびとのインタビューが流れている。
「すごい尊敬してたんですけど、今回のことでがっかりしたわ。ねえ?」
 上等そうなコートを着込んだ五十代とおぼしき女性が、連れの女性に同意を求める。派手な化粧を施した相手が眉をひそめて頷く。
「わたしけっこう持ってるんですよ、上条先生の本。子育てしてたときはバイブルみたいに何度も読んでたのに、なんだか裏切られた気持ち」
 画面が切り替わり、七十代くらいの高齢男性が映った。
「わたしゃはもともと信用してなかったですよ。ああいう金持ちで偉そうな女性はね、他人には厳しいくせにじぶんや息子には甘いもんだ。化けの皮が剥がれたんだ、いい気味ですよ」
 マイクに向かってまくしたてる。
 マスメディアは恐ろしい。七菜の背中を冷たい汗が滴り落ちる。
 なかには朱音を擁護するひとだっているはずだ。熱烈なファンだって何万人も存在する。けれどこうやって編集され、放送されてしまえば、あっという間に世論は「朱音憎し」に傾いてしまう。特に朱音のような有名人であればあるほど叩きがいがあり、大衆にとって共通の敵となりやすい。いわば手っ取り早い不満のはけ口にされてしまうのだ。
 魔女狩り。現代の魔女狩り──そんなことばが七菜の脳裏に浮かぶ。
「待たせたな」
 とつぜん降ってきた耕平の声に、七菜はびくりとからだを震わせる。あわててリモコンのスイッチを押し、テレビを消した。耕平はなにも言わず、七菜の隣のパイプ椅子にどさりと腰をかけた。
「ど、どうでしたか、局の反応は」
 舌がしびれる。鼓動がどんどん速くなってゆく。
 耕平がひとつ大きく息を吐き、前歯で下くちびるを噛んだ。
「放送は中止と言われた。スポンサーもみな降りた……最悪のタイミングだった」
 ぐらり。七菜の視界が歪む。きーんという高い音が耳の奥で鳴り響く。
「そんな……だって不祥事を起こしたのは上条先生ではなく、息子さんなのに」
「関係ねぇさ、局やスポンサーにとっちゃそんなこと」
「でも」
「子どもの不始末は親の責任。この国じゃ、それが当たり前なんだよ。残念ながら、な」
 耕平の声に疲れが混じる。七菜は半身を乗り出した。
「それで岩見さんは?」
「あ?」
「岩見さんはいいんですか『半熟たまご』が世に出なくなっても」
 数瞬、耕平が七菜を見つめる。七菜はまばたきすら忘れ、耕平の顔を見返す。
「……仕方ねぇだろ。こっちゃたんなる下請けだ。金を出す局側が中止と決めたら、逆らうことなんかできねえ」
「けど……あと少しなのに。あと少しで完成するのに。これまで必死で撮影を進めて来た現場の努力が」
「時崎。おまえの気持ちはよくわかる。おれだっておまえと同じ気持ちだよ。だけどさ……しょうがねぇこともあるんだよ、この世の中にはさ」
 耕平の目が潤んだように見える。本音だと、本心から言っているのだとわかる。返すことばが見つからず、七菜は額に手をあて、俯いた。
 窓の外から耳障りなクラクションの音が響いてきた。異常なくらい執拗しつように、何度もなんども何度も。
「……現場のみなに伝えてくれ」
 耕平が乾いた声で言う。
「……あたしが、ですか」
絞り出した声は、じぶんのものとは思えないくらいかすれ、ひび割れている。
「それがチーフプロデューサーの仕事だ……違うか?」
まきをきっちり組み上げるように耕平が告げる。
強い風が吹き、窓枠が音を立てて揺れる。

 七菜が公民館に到着したのは、ちょうど昼の休憩中だった。
 ガラス戸を開けるなり、大基、そしてやや遅れて李生が小走りで近づいてくる。ふたりにはあらかじめ電話で中止の件を伝えてあった。
「スタッフもキャストもみんないる?」
 七菜が尋ねると李生が無言で首肯した。大基が大またで一歩、七菜に詰め寄る。
「時崎さん、おれ、おれ納得できないっすよ。なんで息子のせいでドラマまで」
 勢い込む大基を七菜は手で制する。
「わかってる……あたしだって同じ気持ちだよ。でもいまはとにかく、決まったことを伝えなくちゃ」
「いや、でも」
「落ち着け、平。時崎さんの言う通りだ」
 興奮する大基の肩を李生が押しとどめた。まだなにか言いたそうな大基だったが、李生の表情を見てしぶしぶ口をつぐむ。
「……ついてきて」
 李生と大基を従え、七菜は控え室の襖を開けた。七菜たちを見るなり、にぎやかに喋り合っていたスタッフやキャストがいっせいに口を閉じる。
 部屋が不気味なほど静まり返る。七菜はぐるりと部屋を見回した。
「みなさん揃ってますか? お伝えしなくちゃならないことがあるんです」
 数人のスタッフが立ち上がり、外で休憩しているものを呼びに走りだした。その間、七菜は集まったチームの面々を確認する。

 

【次回予告】

集まったスタッフにドラマ放送中止の報告をすると、一同に怒りや悲しみを表しているものの、七菜だけが別世界に起きた出来事のように感じていた。全員が撤収する中、チーフプロデューサーである七菜が施錠をしようとしたとき「ひよこ」の落書きが目に入り、急に現実感が一気によみがえってきて……!?

〈次回は7月3日頃に更新予定です。〉

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

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