▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 間宮改衣「患者のとても多い病院」

超短編!大どんでん返しExcellent第20話

 白を基調とした清潔な空間、天井には暖色の照明が灯り、床はあたたかな印象を与える木目調、四隅にはパキラなどの観葉植物が置かれ、まるで自然の中にいるように、ゆったりとリラックスできるように、様々な選択肢から選び抜かれた、やわらかくよく沈むグレーの北欧風のソファから、

「2382番の方、どうぞ」

 患者は立ち上がると、力ない足取りで診察室に歩いてきた。

 医者は扉を開けて待ちながら、待合室を眺めた。受付の事務員を除いたここにいる全員が、戦場で待機する兵士のような顔色をしている。今こちらに向かってくる2382番の患者も、地獄の底を這うような表情をしている。しかし医者と目が合うと、瞳にわずかながら希望をたたえ、か細い蜘蛛の糸を手繰り寄せるような手つきで、医者の腕にすがりつこうとする。それを医者は、ぎりぎりのところまで待ってから、避けると、

「こんにちはー、どうぞー」

 扉から手を放し、早足で机の向こう側の席に座る。

 患者は閉まりゆく扉の隙間に慌てて滑り込み、少しムッとしたような面持ちで、背中で扉を閉め、机の手前側の椅子に座った。

 医者はちらりと机の上、両者に見えるよう置かれた電子時計に視線をやった。十六時四十五分。

「すみません、今日はこのあと予定があるので、十七時にはここを出なくちゃいけなくて」

 すると患者は、いよいよ不機嫌そうに、

「なんですか、それ。こっちは予約して来てるのに。なんですか、それ」

「申し訳ありません。それで、えー、二週間いかがでしょうか」

 医者は手元のマウスで、パソコン画面上の電子カルテをカチカチやる。それは患者の目には、何かを誤魔化すように見えたかもしれない。

「いかがも何も」

 患者はうなだれた。

「相変わらず、眠れないし、食欲もないし、いいこともない。薬ほんとうに効いているんですか? 何ひとつよくなっている気がしないんですが」

「お気持ちはとてもよくわかります」

 医者は言った。

「ただ、やっぱりお薬というものは、継続していくことで徐々に効果を発揮していくものですから。このままご継続いただいて、様子を見させていただけますと」

「先生ずっとそればっかりじゃないですか、ここ半年くらいもうずっと。私はいつよくなるんですか? 薬ずっと飲んでるのに、どうしてこんなにつらいんですか? ああもういやだ、何もかもいやだ。だってどれだけ頑張っても、報われない人は報われないじゃないですか。幸福は幸福と、不幸は不幸と仲良しで、どちらか片方が降り積もり続ける人生じゃないですか? つくづく人生は、生きるに値しません。そもそもどうせ死ぬっていう苦痛が絶対ある時点で、すべてに意味はないですよね? 私の人生にも、先生の人生にも。そうですよね、先生? そうって言ってくださいよ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ?」

 医者はできるだけ、慈悲深く見えるような笑みを浮かべた。そして電子時計に視線をやった。十六時五十五分。

「引き続き同じお薬出しておきますので、また二週間後にお越しください。お大事にどうぞ」

 

 医者は身をひそめるようにして、ビルを出た。

 病院は建物の三階にあった。表には案内板があり、一階には薬局も兼ねたドラッグストア、二階には美容外科、四階は脱毛クリニック、五階には歯科医院が入っている。エレベーターに乗り込み階数を押すまでは、その人間がどの病院に行こうとしているのか、わからないようになっている。医者の勤める病院に毎日毎日たくさんの人間が訪れるのは、そうした理由からかもしれない。

 小雨がぱらぱらと降り始め、医者は鞄から折り畳み傘を取り出した。黒色の傘は、医者の暗い顔にさらに濃い影を落とす。けれど本人は、内心ほっとしていた。雨の日に傘があれば、自分が何者なのか知られずに外を歩くことができる。

 実際に歩いていると、医者は己が何者であるかも、先ほどまで相対していた患者たちの顔も、ひたすらにぶつけられる言葉も、自分から剝がれて溶けていくように感じられた。雨に洗われて、まったく新しい自分に生まれ変わるようだった。

 路地裏に入り、古い建物が連なる中の、ひと際古いビルの一見壁のような入口扉を押し開ける。エントランスに案内板はなく、錆びた郵便受けの表示で、かろうじてテナント名がわかる。

 エレベーターで四階にたどりつき、ガラス扉を開くとそこはクリーム色を基調とした明るい空間、天井には温色の照明が灯り、床はやさしい印象を与える茶色のカーペットが敷かれ、至るところに花が飾られ、まるでカフェにいるような、のんびりとくつろげるような、様々な選択肢から選び抜かれた、包み込むようなアンティーク調のソファから、

「4989番の方、どうぞ」

 医者は、いや患者は立ち上がると、今にも倒れそうな足取りで診察室を目指した。時計の針は予約時刻ぴったりの十七時半を指している。

 手前の椅子に座り、患者は言った。

「つくづく人生は、生きるに値しません。そもそもどうせ死ぬっていう苦痛が絶対ある時点で、すべてに意味はないですよね? 私の人生にも、先生の人生にも。そうですよね、先生?」

向かいに座る医者は、慈悲深い笑みを浮かべた。

「お気持ちはとてもよくわかります」

  


間宮改衣(まみや・かい)
1992年大分県大分市生まれ。東京都在住。2023年、『ここはすべての夜明けまえ』で第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞し、同作でデビュー。

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