「推してけ! 推してけ!」第24回 ◆『やっかいな食卓』(御木本あかり・著)
評者=北上次郎
(文芸評論家)
同居人がどんどん増えていく傑作家族小説
六十九歳で初めて書いた小説とは信じられないほど、うまい。まず、文章が滑らかなのだ。これだけで驚く。というのは、新人賞の下読みをやっている者の実感として言うと、素人の書いた文章は、どこかぎくしゃくしていることが多い。いま話しているのは誰なのか、それがわからないことすらある。かといって、それを懇切丁寧に書いていくと、文章はどんどん「説明」に接近していく。小説の文章でありつつ、しかもわかりやすい文章を書くというのは、実はなかなか難しいのである。
いやしかし、こういう紹介の仕方は作者に失礼かもしれない。あなたの書いたものはとても素人の書いたものとは思えない(ようするに、素人にしてはうまい)、と言っているに等しいからだ。本書はそういうレベルではない。だから、言い換える。これは、家族小説の傑作である、と。
語り手は二人。一人は、緑川ユキ。職業は、フードスタイリスト。ある日、義母が一人で暮らしている成城の家への引っ越しを、夫から提案されるのが物語の発端である。ユキの夫、健は区役所勤務なので不況に強く、転勤もなく、定時に帰れる身ではあるけれど、けっして高給取りではなく、成城の一軒家に住むことは望外の喜びだ。問題は、義母との同居だ。ユキは義母が苦手で、なるべく近づかないように生きてきた。それなのに同居するとは!
もう一人の語り手はその義母、高畠凜子。七十二歳の彼女の日常は忙しい。自治会の料理教室で家庭料理を教え、区の文化センターでテーブル花を教え、月に一度だけだが男の料理教室も開いている。書道を習い、古文書を読む会にも参加。ほぼ毎日出歩いている。
同居生活はたちまち揉める。ユキの仕事が押して帰宅が遅れた日、夫の健と息子の旬が義母の作った唐揚げと筑前煮と炊いたばかりの枝豆ご飯を食べていたのだ。
「お袋の料理、久しぶりに食べたけどやっぱり美味いよ。枝豆ご飯は、子供のころよく作ってもらったんだ。な、旬も珍しくお代わりしたしな」
と夫の健が屈託なく話すこともユキには面白くない。ちなみに小学生の旬は不登校ぎみで、両親にも心を開かず、一人で部屋にいることが多いのだが、七十二歳の凜子は言葉巧みに唐揚げ作りを手伝わせて、その旬の心をほぐしてしまう。それもユキには面白くない。
「同じ家に住んでも、生活も食事も一切別って決めたわよね。お義母さんも何なの? 私がいない隙にわざとらしく手料理持ってくるなんて、嫌がらせとしか思えない。あなた達もどうして断らなかったの? 家には家の食事がありますってどうして言えなかったの?」
嫁姑の確執は、家族小説において珍しい素材でもないが、うまいのはこの先の展開である。高畠凜子には三人の子がいる。売れない画家の長男・駆はずいぶん前に事故死していて、いまはイタリア人の夫と小さなイタリアンを経営している長女の涼と、次男の健がいるだけだが、駆の忘れ形見をある日涼が連れてくるのだ。結婚はしていなかったが、事実婚の相手がいて、駆の死後は母娘で暮らしていたものの、その母親が死去。忘れ形見の叶(10歳)の行き場がなくなって、凜子の家に連れてきたというわけだ。ここでちょうど物語の半分。紹介はここまでにしておく。
この10歳の少女・叶が旬の心をほぐしていく過程がいいし、これは詳細を省くものの、他にも凜子とユキが同居する成城の家にやってきて住み着く者がいて(おお、誰が来るんだ!)、どんどん人が増えていくのが面白い。意外な方向にズレていく後半の展開こそがこの物語のキモだ。興味深い家族小説として読まれたい。
【好評発売中】
『やっかいな食卓』
著/御木本あかり
北上次郎(きたがみ・じろう)
文芸評論家。1946年東京都生まれ。76年、椎名誠を編集長に「本の雑誌」を創刊。『感情の法則』『記憶の放物線』『冒険小説論-近代ヒーロー像100年の変遷』『阿佐田哲也はこう読め!』など著書多数。
〈「STORY BOX」2022年10月号掲載〉