「推してけ! 推してけ!」第42回 ◆『Q』(呉勝浩・著)

「推してけ! 推してけ!」第42回 ◆『Q』(呉勝浩・著)

評者=渡辺祐真/スケザネ 
(書評家)

あり得たかもしれないもう一つの現代史


 本書を喩えるなら「現代の黙示録」というべきだろう。

 SNS、バズり、政党、陰謀論、コロナ禍、自由、日常の喪失、天才、ポピュリズム、大衆煽動、ポルノ……。そうした現代的な染料が、トリックスター、神、(それに対比される形での)人間、美、舞踏といった神話的な筆によって、怒涛の勢いで一枚の画に仕上げられる。

 700ページ近い大著だが、全く長さを感じさせない。ページを開いたら最後、あなたはただ体験するだけなのだ、あり得たかもしれないもう一つのこの数年間を。

 

 物語の軸となるのは、「Q(キュウ)」と呼ばれる美貌と天性の才能を併せ持つ19歳の天才ダンサー。

 その才能や美に魅せられた人々が、彼を求め、彼に翻弄され、そしてやがて世界は大きな混乱へと叩き込まれる。

 その一人が主人公の町谷亜八(通称:ハチ)。彼女は24歳で、千葉県富津市に一人暮らしをしながら、清掃員のアルバイトをしている。手取りは13万円で、パワハラを繰り返す先輩もいるような劣悪な環境だが、彼女には傷害の前科があるので辞めるわけにはいかない。ささやかで平凡な日常を守るために、彼女は日々黙々と仕事に勤しんでいる。

 ある日、同い年の異母姉「ロク」が彼女の前に姿を現す。どうやら二人にはただならぬ過去があり、再会したのも随分久しぶりらしい。挨拶もそこそこに、ロクは自分たちの異母弟「キュウ」の話題を出す。幼い頃からダンスの才能に恵まれたキュウは、現在、大手事務所に所属し、将来を嘱望されている。ところが、彼の母親には後ろ暗いスキャンダルがあり、それを芸能記者が嗅ぎつけたらしい。しかも裏で糸を引いているのは、キュウを手籠にしようとする若き実業家。キュウを芸能界から追い落とし、自らが身請けをしようと画策している。ロクはキュウの将来を守るために、事情を知るハチに家族のことを言わないよう忠告をしにきたのだ。

 以上が物語序盤のあらすじである。ここまで読まれた方の中には、ここからキュウを守るために姉妹が手を組んで戦うのだなと、考えた人もいるだろう。いや残念ながら、キュウ(『Q』)はそんな常識を易々と飛び越えてしまう。キュウは規格外な存在なのだ。

 小学生にしてそのルックスとダンスの才能で天才の名をほしいままにしたキュウ。彼の性格は天才にだけ許された自由奔放さと傲慢さ、天真爛漫さを併せ持つ。ダンスユニットを組んだ他のダンサーが気に食わなければ、「そんなのピノキオにだってできるじゃん。海クラゲ以下だ」と言い放つし、大きな影響力を持つ元アイドルのユーチューバー・ヒュウガには初対面から「ヒュウガくんは主役じゃない。(中略)誰かを支える──そっちのほうがいい」と言って自らのメンバーにしてしまう。その一方で、自分がどのような表情で、なんと言えば人を虜にできるかを心得えて、とびっきりの媚びやや甘えを駆使することも厭わない。神であり悪魔のような人間だ。

 ネタバレにならないようにぼかして書けば、そんなキュウは人々の思惑も願いも欲望も全てあざ笑うかのように、一人で高みへとのぼる。自らを引き立ててくれた海外の巨匠も、かつて自らの母親とその浮気相手によって企てられたポルノ映像も、自らの後ろ暗い過去すらもその翼へと変えて。キュウの華々しいデビューは目前だった。

 しかし、ちょうどそのときにコロナが世界を覆う。外出を規制され、ライブや集会が禁止になった、あの2020年が幕を開ける。天才ですら、世界の運命に抗うことはできない。

 だがキュウはただの天才ではない、神であり悪魔だ。混沌としたコロナ禍で、キュウや、彼を支え崇める人々はなんぴとも逃れることのできないうねりを生み出し、それが世界中を巻き込んでいく。ハチ、ロクは自分たちの過去や未来を削りながら、時にキュウを助け、時に戸惑う。

 SNSによって世界が繋がり、政治や社会変動がショーと化した、紛れのないもう一つの現代の姿がここにあるのだ。

 

 以上のように、物語には息をもつかせぬ怒涛の展開が巻き起こり、複雑で常軌を逸した過去と人格を持つ人間たちが次々と登場する。

 だが、それがただの浮世離れしたフィクションに陥っていないのは、そこに天才と凡人、非日常と日常との相剋が鋭く描かれているからである。

 キュウが天才である一方、ハチはどこまでも平凡さを墨守する。キュウにまつわる世界的な混乱の最中でも、彼女は日々の業務を着実にこなし、正社員にならないかという誘いに本気で悩む。

 物語が天才とそれを崇める大衆という鋭くも絶対に超えられない対比によって成り立っているとするならば、ロクは混乱の時代を生き、ムーブメントを仕掛けようとしながらも仕掛けさせられているだけだ。そして、神であり悪魔であるキュウも、才能や運命という目に見えぬ存在の歯車に過ぎないのかもしれない。その中で、確かに生きているのは、着実に日々を過ごすハチのような人間なのではないだろうか。
 


〈それで? この先、あの子に何をさせる気?〉

「まともな生活だ。まともな仕事をして、まともな暮らしをすればいい」

〈冗談でしょう?〉

 感情の昂ぶりをごまかすような笑いが聞こえた。〈あの子にサラリーマンになれと? コンビニのバイト? それとも清掃員?〉

「悪い生き方じゃない」

〈あなたやわたしにはそうでしょう。でもあの子はちがう。あの子には無理。そんなのは許されない〉

「許されないって――」

〈(中略)あの子は本物。あれは天から授かった輝き、運命が与えたもの。奪えないし、奪っちゃいけない。奪わせない。誰であろうと、なんであろうと。たとえ相手が、それを与えた神様であったとしても〉

 

 

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Q

『Q』
著/呉勝浩


渡辺祐真/スケザネ(わたなべ・すけざね)
1992年生まれ。東京都出身。書評家、文筆家、書評系 YouTuber、ゲーム作家。TBSラジオ「こねくと」レギュラー、TBSpodcast「宮田愛萌と渡辺祐真のぶくぶくラジオ」パーソナリティ。著書に『物語のカギ』(笠間書院)。ほか、共著、編著など多数。

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