呉 勝浩 『Q』

呉 勝浩 『Q』

夜と夜明けのあいだ、県道は青白いというよりどす黒い


 前作の『爆弾』が思いのほか好評を得て、いろいろと取材を受ける機会があった。そのたびに「次回作は?」と訊かれ、「次の長編は恋愛小説を書いてみたいと思っています」と答えていた。

 だいたいそこでひと笑いが起きる。あんたが恋愛小説? またまたご冗談を。

 じっさい冗談半分なところはあったが、もう半分は本気だった。ずっとミステリーや犯罪小説を書いてきた物書きが、恋愛ものに挑戦したらどうなるんだろう。想像がつかなくて、わたし自身が読みたいと思ったのだ。

 さあ、やるぞと一行目を書きだして、すでに恋愛小説ではなかった。不穏な香りしかしない。びっくりである。しかしせっかく書いたのだから、もう少しつづけてみよう。いつか恋愛小説に合流する可能性もなくはない。

 わたしはプロットを立てずに書くタイプだが、ここまで用意のない執筆は初めてだった。とりあえず主人公を登場させ、会話をさせ、その流れでバックグラウンドを決めていき、生活をさせてみる。友人の誘いがあり、離れ離れの家族から連絡がある。アクアブリッジで東京湾を突っ切って、ダンスクラブへ。過去のいじめ、父親との確執、ドラッグに溺れた日々……。

 おかしい。ぜんぜん恋愛小説にならない。甘い囁きどころか、犯罪の臭いしかしない。まいったなと思いながら、なんとか先へ進んでみる。怪しいパトロン、刺青の男、執行猶予……。

 キュウという少年が現れて、ようやく恋愛要素が見つかった。うん、いけそうだ。若者たちの暗い青春をベースに、犯罪小説風恋愛小説にすればいい。

 しかし少年が踊りだし、ぜんぶがおじゃんになった。

 いや、恋愛小説ではあるのだ。少なくともそう呼んで、詐欺にはならない程度には。

 でもちがう。主人公のハチも、義姉のロクも、ロクの恋人の健幹も、「恋愛」とくくって済ませられる物語を生きていない。キュウという存在が常にはみ出し、彼がはみ出しつづけることで、ハチたちもはみ出さざるを得なくなる。

 何より、彼らが生きる世界自体が、とっくにはみ出している。常識や良識や、賢さや理性から。

 ある地点で物語は、小説のこちら側の現代と明確に接続し、「あり得た過去」を形成していく。むろんそれは、「あり得る未来」かもしれない。

 もしも恋愛という現象を、「あなたとわたしをイコールで結ぶ異様な情熱」と定義するなら、本作は間違いなく恋愛小説と呼べるだろう。もっともわたしは、そんな定義を聞いたことがないけれど。

 


呉 勝浩(ご・かつひろ)
1981年青森県八戸市生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。2015年『道徳の時間』で第61回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。18年『白い衝動』で第20回大藪春彦賞受賞、20年『スワン』で第41回吉川英治文学新人賞、第73回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)受賞、第162回直木賞候補。21年『おれたちの歌をうたえ』で第165回直木賞候補。22年『爆弾』で第167回直木賞候補。

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Q

『Q』
著/呉 勝浩

◎編集者コラム◎ 『長篠忠義 北近江合戦心得〈三〉』井原忠政
吉川トリコ「じぶんごととする」 6. 本の海におぼれたい