「推してけ! 推してけ!」第48回 ◆『鳥と港』(佐原ひかり・著)

「推してけ! 推してけ!」第48回 ◆『鳥と港』(佐原ひかり・著)

評者=武田砂鉄 
(ライター)

働くのって、ずっと難しい


 学生時代、あまり大学に通わず、番組制作会社でADの仕事をしていた。弁当発注からトイレ掃除まで、あらゆる雑務を請け負っていたが、さすがにテスト期間になると大学を優先し、その時期は別の人が回していたから、自分がいなくても構わない職場ではあった。

 唯一、自分じゃなければできない仕事があり、それが、「VHSに貼られたシールをキレイに剥がす」仕事。データでのやりとりができる時代ではなかったので、関係各所にVHSを送り、映像をチェックしてもらっていた。後日、VHSを回収し再利用するのだが、番組名などを記したシールを剥がすための専用スプレーがあった。できる限り少量のスプレーでシールをキレイに剥がすテクニックが自分にはあった。VHSシール剥がし選手権があれば、全国でメダルを狙えたと思う。テスト明けに会社に行くとVHSが溜まっていて、「やれやれ」と思いながら、「自分でなければならない仕事」がそこにある状態が嬉しかった。

 働いていると、「これは自分でなければならない仕事なのか?」という疑念がずっと消えない。それなりの役職で会社生活を終えた人が、しばらくして、かつての勤務先にやってくると、自分がいなくても平然と仕事が回っていることに落ち込むと聞く。そう思わせないように、わざとらしく「もう困っちゃいますよ!」とかつての部下が近づいていく様子を見たこともある。

 

「飛鳥くんは、学校のどこと気が合わないの?」
「なにもかも、って言いたいところだけど、強いて言うなら、均される感覚かな」

 新卒で入社した会社を9ヶ月で辞めたはるさしみなとと不登校の高校2年生・森本飛鳥の会話。「均す」と書いて、「ならす」と読む。平均の均。そう、私たちは、ずっと均されてきた。学校でも会社でも、とにかくまず均される。均されたあとで、ようやく自分の個性が問われる。個性を出しすぎると、また均される。社会において「均す」とは、事実上、「理不尽に堪える」らしい。「均す」と「堪える」、同じ意味でいいのか。

 本書の冒頭の一文、「会社、燃えてないかな」の清々しさったらない。邪念なんだけど、邪念が極まると、なんだか気持ちがいい。上司に暖簾を上げさせるな。上司が脱いだ靴は部下が揃えろ。社員の意識調査アンケートの集計はクロス集計ではなく、正の字で。そんな職場で山積する「無意味な仕事」を前に、いよいよ思う。「会社、燃えてないかな」。やっぱり気持ちがいい。

 会社を辞めたみなとは、公園に置かれていた郵便箱の中に手紙を見つける。返事を書き、高校生の飛鳥との文通が始まる。やがて、直接会い、この「文通」をビジネスにするのはどうだろうかと動き出す。なかなか集まらないクラウドファンディングを動かしたのは、飛鳥の父、ベストセラー作家の森本実によるSNSへの投稿だった。親のすねかじりだ。でも、かじるすねがある。飛鳥自身、ずっとコレに悩んできた。文通の仕事を始め、送られてきた手紙に対して、真摯に言葉を返していく。言葉が簡単に届く時代だからこそ、時間をかけて届く言葉には体温がある。でも、その体温の入れ方・込め方のさじ加減って難しい。文字通り、温度差が生じやすい。

 

 みなとと飛鳥の間にも隙間風が吹く。

「なにをどう言えば、相手がいちばん傷つくのか。/自分を正当化できるのか。/のか。/こんなときでも、私はことばを選んでしまう。」

 誰かと働くって、誰かを信頼するって、誰かからお金をもらうって、どういうことなのか。誰かと働いてお金をもらう。多くの人が日々繰り返していること。自分もそう。でも、正直、毎日のように「それってどういうこと?」と思う。うまくいっていると思っていても、突然、うまくいかなくなるし、こんなんで大丈夫だろうかと思っていると、意外とうまくいったりする。それをあらかじめ調整するのは難しく、流されるままに目の前の出来事に対応していく。

 VHSに貼られたシールをキレイに剥がせても、誰も褒めてくれない。むしろ、キレイに剥がせなかったものを見つけられて、「キレイに剥がしとけよ」と叱られたりもした。そんな時は、「会社、燃えてないかな」ならぬ、「六本木のいたるところにある関連会社も含めて、全部潰れないかな」と壮大に恨んだが、あの時も今も、働くのって難しい。ずっと難しい。難しさを楽しめる日もあるけど、楽しめない日もあるから難しい。堂々巡り。本作は、働く難しさと真正面から向き合っている。向き合ってかすり傷を作るけど、治りも早い。心が通っている。真正面に立ったからだ。

「普通」や「ふつう」という言葉が何度か出てくる。これ、人の動きをもっとも縛り付ける言葉だと思っている。普通こうでしょ、普通はやらないでしょ。誰かの動きに対して、この言葉を向けると、多くの動きが止まる。二人とも「普通」に潰されそうになる。働くって難しい。でも、読み終わった後、この二人を頭で想像する時、ようやくたどり着いたように朗らかな表情をしている。


【5月29日発売】

鳥と港

『鳥と港』
著/佐原ひかり


武田砂鉄(たけだ・さてつ)
1982年生まれ。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、2014年からフリー。『紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。最新刊は『なんかいやな感じ』。

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