「推してけ! 推してけ!」第51回 ◆『逃亡犯とゆびきり』(櫛木理宇・著)
評者=千街晶之
(ミステリ評論家)
探偵役と殺人犯、2つの顔を持つ女
サイコ・サスペンスの歴史において、トマス・ハリスほど後続の作家に絶大な影響を与えた巨匠は他にいない。獄中にいながらにして人を操る超絶的知性の持ち主にして猟奇殺人犯のハンニバル・レクター博士という魅力的なキャラクターを創造したことにより、ハリスは膨大なフォロワーを生んだ。
日本のサイコ・サスペンスにも、レクター博士を想起させるキャラクターが登場するケースは多い。このジャンルの第一人者といえば櫛木理宇だが、彼女の作品で言えば、映画化もされた代表作『死刑にいたる病』の獄中の連続殺人犯・榛村大和が該当する。
では、櫛木の新作『逃亡犯とゆびきり』はどうだろう。この作品には、連続殺人犯にして一種の探偵役をも務める古沢福子という人物が登場する。だが、彼女は果たしてレクター博士型のキャラクターだろうか。
本書の主人公は、福子の高校時代の同級生だった世良未散だ。今では30代のライターである彼女は、「週刊ニチエイ」という週刊誌に、ある自殺事件に関する記事を執筆することになった。先月、中学3年生の清水萌佳が投身自殺をしたのだが、その死には複数の謎がまつわっていた──まず、3カ月前にも同じ高校の男性教諭が自殺していたが、2人のあいだに接点は見つからなかった。また、萌佳の遺書には「あたしは一一七人に殺された。あいつらのせいで死ぬ」という文面が記されていたが、クラスメイト、教師、部活の部員など、彼女の周囲の人間をどう足し引きしても117人にはならなかった。
遺族や同級生ら、関係者への取材を開始した未散のもとに、古沢福子から電話がかかってきた。福子は3年前、4人の男女を殺害したことが発覚して逃亡しており、指名手配中の身だ。未散の記事を読んだという福子はあるメッセージを伝える。それをもとに、未散は事件の真実に辿りつく。
未散が執筆した記事は大きな評判を呼び、「週刊ニチエイ」編集部からは続けて執筆依頼が舞い込むようになった。彼女は、ストーカーに起因する過失致死事件、弁護士が妻子を殺害して自殺した事件など、謎が残る過去の事件についての取材を行う。そのたびに福子から電話がかかってきて、真相のヒントを未散に授けるのだった……。
連続殺人犯でありながら何らかの手段でさまざまな事件の真相を見抜く立場にある点で、福子は確かにレクター博士を想起させるかも知れない。しかし、本書を読んで私が福子から真っ先に連想したのは、アガサ・クリスティーの小説に登場するミス・マープルだった。マープルは、自身の周辺で過去に起きた出来事を、現在の事件に当てはめることで真相を類推するという推理法を得意としている。福子の手法もこれと似ていて、彼女と未散が共有する過去の思い出をヒントとして電話で未散に伝え、そこから事件の真相との類似点へと辿りつくように未散を誘導するのだ。
一方で、中盤からは別の殺人犯も登場する。こちらは、獄中にいながらにして大衆に影響を及ぼす、レクター博士や榛村大和に似たタイプだ。本書はいつしか、2種類の殺人犯の対決の様相を呈してゆく。
また、話の進展につれて、未散と福子の不思議な絆も明らかになってゆく。福子が連続殺人犯であることは早い段階で記されているものの、彼女が起こした事件が具体的にどのようなものだったのかについては断片的な情報が小出しにされるかたちである。福子から連絡があった事実を公表すれば更なる注目を集められるであろう未散が、どうして福子のことを黙ったままなのかも、ある程度読み進めなければわからない。
第三の事件に決着がついた時点で、未散は福子に「わたしは、おまえについて書きたい」と電話越しに告げる。ずば抜けて聡明な少女だった福子が、どうして殺人犯となってしまったのか。未散は事件を通して福子を語ることで、世間に彼女のことを知らしめたいと願うようになっていた。それが叶うのか、両者の関係がどうなるのかは、本書を最後まで読むことで見届けてほしいが、ひとつ言えるのは、福子というタイプの異なる殺人犯を登場させた本書が、他者を操るレクター博士型殺人犯へのある種の断罪ではないかという可能性だ。終盤にはアメリカの陰謀論支持運動「Qアノン」を想起させる集団が登場するけれども、いい加減な情報をまき散らす者とそれに踊らされる者たちへの危機感が、著者に本書を執筆させたのかも知れない。その意味で、本書はサイコ・サスペンスであると同時に警世の書である。
千街晶之(せんがい・あきゆき)
ミステリ評論家。日本推理作家協会会員。多数の推理小説に巻末解説を寄せている。主な著書に『怪奇幻想ミステリ150選』『水面の星座 水底の宝石』『幻視者のリアル』『ミステリから見た「二〇二〇年」』、共著に『21世紀本格ミステリ映像大全』がある。