思い出の味 ◈ 櫛木理宇
第46回
「おかゆのおかず」
まだ幼稚園児だった頃、喉の手術のためしばらく入院した。記憶にはっきり残っているのは「とにかく、おかゆがまずかった」ことである。
塩のみのおかゆで、なのに肝心の塩味すらほとんどせず、ぐちゃぐちゃのどろどろだった。いまだにおかゆが好きでないのは、どう考えてもあの入院で毎日毎日しつこく食べさせられたせいだと確信している。
この入院でもうひとつ鮮明に覚えているのは、本である。病院の売店で『ナルニア国物語』の一巻にあたる『ライオンと魔女』を買ってもらったのだ。
言うまでもなく、名作中の名作だ。この世にこんな面白い本があるのかと驚き、文字どおり貪るように読んだ。そしてストーリイの面白さもさることながら、作中に登場する美味しそうな食べ物にも惹かれた。
エドマンドが魔女からもらう、芯までふわふわのプリン(原典ではターキシュ・ディライトというお菓子だが和訳版ではプリン)。テーブルに載った濃い黄色のバターを、好きなだけすくって塗って食べるジャガイモ。半時間前にとった新鮮な鱒を揚げたフライ……。
きわめつきはビーバーの奥さんがオーブンから取り出した「すてきにねとねとするマーマレード菓子」である。しかも「焼きたての湯気をほかほかたてて」いるのだ。いつ作ったのかもわからぬ、冷めて味のしないおかゆばかりを啜る毎日に、この描写は痛いほど染みた。
かくして幼稚園児だったわたしは、この『ライオンと魔女』をおかずに病院食を乗り切る、という技を編み出した。鰻の焼ける匂いをおかずに白飯を三杯食うだの、梅干しを思って滲み出た唾液で白飯を掻きこむという、有名な落語『しわい屋』のアレである。その頃はまだ落語のネタなど知らなかったものの、自然と体得した極意であった。
いまはさいわい入院に縁のない身だ。しかし『ライオンと魔女』を読みかえすたび、マーマレード菓子やプリンの描写のくだりで、あの味気ないおかゆをほんのりと思いだす。
櫛木理宇(くしき・りう)
1972年新潟県生まれ。2012年『ホーンテッド・キャンパス』で第19回日本ホラー小説大賞読者賞を受賞しデビュー。同年、『赤と白』で第25回小説すばる新人賞を受賞。『死刑にいたる病』『鵜頭川村事件』など著書多数。
〈「STORY BOX」2021年8月号掲載〉