ミステリの住人 第3回『時代小説 × 蝉谷めぐ実』

ミステリの住人 第3回

若林 踏(ミステリ書評家)

 蝉谷めぐ実、もっと本格謎解き小説ファンに読まれて良い作家だと思うのだ。
 本連載は警察小説、家族小説といったテーマを設けながら、そのテーマと縁の深い作家が書くミステリを論じていくという企画である。蝉谷めぐ実をゲストに迎えた第3回のテーマは時代小説であった。しかしインタビューを進めていく内に、話題は時代ミステリから謎解き小説のガジェットや趣向にまつわる話へと収斂していく。それも、本格謎解き小説に関心のある者ならば、思わず耳を傾けずにはいられないような深い話へと――。

“人の死を娯楽にしてしまう” 芝居の怖さを突き詰めた

 例えば蝉谷めぐ実のデビュー作である『化け者心中』(KADOKAWA)で描かれる謎の設定だ。文政年間の江戸が舞台となるこの小説では、歌舞伎役者たちが台本の前読みを行っている最中に突然誰かの頭が転がり落ちるという場面が描かれる。ところが、そこにいる役者の人数は変わっていない。誰も死んでいない様に見えるのだ。ここで提示されるのが「鬼が誰かを食い殺して、成り代わっているのではないか」という謎である。本格謎解き小説のファンならば、おそらく“特殊設定ミステリ”という言葉を思い浮かべるのではないだろうか。 “特殊設定ミステリ”とは、非現実的な要素を取り入れる事で謎解きに一捻りを加えた作品の事を主に指し、近年は様々な謎解きミステリの書き手が盛んに挑んでいる。この作品の謎も、そうした鬼という架空の存在を使ったフーダニットの興味を掻き立てるものだった。実は本作におけるミステリとしての肝は、犯人当てとはちょっと別のところにあるのだが、それでも謎解きファンの心をくすぐるような謎の提示がフックになっていたことは間違いない。

ミステリの住人 第3回「化け物心中」
『化け者心中』

 とはいえ蝉谷自身は別段、謎解きミステリの趣向を意識していたわけではなかったという。インタビューでは、「そもそもジャンルを意識して書いておらず、デビュー前の応募作もミステリや時代小説ではなく、現代を舞台にした恋愛小説だった」と述べており、特定のジャンルに固執していたわけではない様子だ。『化け者心中』で鬼を登場させたことについて、元より妖(あやかし)が出てくる小説が好きで、その影響下にあると、蝉谷は語っている。

 影響を受けた妖怪小説として蝉谷は京極夏彦の〈百鬼夜行〉シリーズなどを挙げているが、今回注目したいのは「小さい頃からずっと好きと言い続けている作品」と蝉谷自身が語る夢枕獏の〈陰陽師〉シリーズだ。平安時代に実在したといわれる陰陽師・安倍晴明と、従三位の殿上人にして笛の名手である源博雅がコンビを組んで、京の都で起きる怪異に挑むという連作である。

 第1作に当たる短編が『オール讀物』1986年9月号に掲載されて以降、30年以上にわたって愛されている時代小説シリーズで、2000年代初頭には映像化が重なるなど、“陰陽師”ブームを牽引した立役者でもある。だが後続の娯楽小説への影響という意味では、「妖が日常に跋扈し、人と共存する」世界観を持つ物語が支持されるようになったことの方が大きいかもしれない。そこに陰陽師が探偵役のような立ち回りで妖が生んだ謎を追うというミステリの要素が加えられていることを考えると、“特殊設定ミステリ”が現在になって多く書かれている素地の一つには、夢枕獏の〈陰陽師〉シリーズが作り出した世界観もあるのかもしれない、などと想像を広げたくなる。

 話を蝉谷作品に戻そう。夢枕獏の〈陰陽師〉シリーズから『化け者心中』が受けたもう一つの大きな影響は、浮世離れした探偵役とそれを現世へと繋ぎとめる役回りを務めるワトスン役というコンビの在り方だ。 『本の話』2003年5月号に掲載されたインタビューにおいて夢枕獏は「晴明と博雅、このふたりが、いわば名探偵シャーロック・ホームズとワトスンです。『陰陽師』の最初のうちは、ぼくも書いていることに夢中だったから、こういうことには気づかなかった」と、作者自身が知らないうちに時代小説の中においてホームズ&ワトスンコンビを描いていたことを述べている。今回のインタビューで「最もお気に入りのホームズ&ワトスンコンビは?」という質問をしたところ、蝉谷が挙げたのがまさに〈陰陽師〉シリーズの安倍晴明と源博雅だった。蝉谷は『オール讀物』2022年8月号の“「陰陽師」の世界”という特集において「耳穴の虫」というトリビュート短編を寄せているが、ここでは晴明と博雅の関係性が意外な形で表現されている。それほどまでに蝉谷にとって思い入れの強いホームズ&ワトスンコンビだったのだ。

 ただし、『化け者心中』と続編である『化け者手本』(KADOKAWA)に登場するホームズとワトスンは、晴明と博雅のコンビとは少し違う。探偵役を務める田村魚之助は稀代の女形としてかつては絶大な人気を誇っていた元歌舞伎役者である。だが、魚之助は3年前に起こったある出来事ですねから下の足を失い、舞台に立てなくなったことで役者を辞めた。歩くのにも不自由な体となってしまった魚之助をおぶって運ぶのは、鳥屋を営む藤九郎だ。

 役者を引退してからは芝居とは縁の切れた魚之助だったが、『化け者心中』では芝居小屋の中村座で起こった「鬼の成り代わり」事件を解くために、再び芝居の世界と接点を持つようになる。現役から遠ざかっても魚之助にはなおも断ち切る事の出来ない芝居への思いが秘められている。役者に復帰したわけでは無いものの、舞台に立つ者たちと再び言葉を交わし始めた魚之助は芝居に対する思いが、ときに暴走とすら思えるような形で噴き出してしまう。芝居の世界へと囚われた人間なのだ。常人には与り知らぬ世界へと足を踏み入れている魚之助に対し、芝居とは縁がない藤九郎は魚之助のことを理解しようとしながらも、完全に向こう側の世界へと渡ってしまいそうになる魚之助を常人の側に留めようともする。

ミステリの住人 第3回「化け物手本」
『化け者手本』

 面白いのは、第2作『化け者手本』において魚之助の持つ危うさが、探偵役の倫理の問題という、極めて謎解き小説が孕む命題とも重なる形で描かれるようになることだ。芝居の為ならば、謎解きの為ならば何を踏み越えても構わないという態度は果たして許されるべきか。傍らにいるワトスン役はそれを受け止めるべきなのか、それとも異を唱えるべきなのか。

 インタビューにおける蝉谷自身の言葉によれば「探偵役の謎を解くために道理を外れてしまう姿は、むかしの芸談集に書かれているような、芝居のために倫理に背く様な行いをしてしまう役者の姿に重なるところがあるので、そうした部分を『化け者手本』では表現したかった」という。同時に『化け者手本』は芝居の世界を知らない藤九郎が徐々に芝居に興じてしまう人間の事を理解しつつ、そこに囚われた魚之助とどのように関係を持つべきか、ワトスン役の苦悩を綴った小説としても読むことが出来る。魚之助と藤九郎が活躍するシリーズは、倫理をひとつの軸に探偵とワトスンの関係性の変化を描いていく連作ミステリでもあるのだ。〈陰陽師〉シリーズの安倍晴明と源博雅が変わらない関係の中で魅力を放ち続けるのに対し、魚之助と藤九郎は非常に危ういバランスの上に成り立っている。これから続刊があるとすれば、その関係性が果たしてどのような変化を迎えるのか。新進の謎解きミステリ作家たちによって今も様々なホームズ&ワトスンコンビが生まれているが、その中でも最も行く末が気になる一組だと言っておこう。

 探偵役の倫理を巡る問題が、芝居の世界にのめり込んでしまう役者の姿から着想されて書かれているように、『化け者心中』と『化け者手本』は時代芝居小説としての側面を掘り下げた結果として本格謎解きミステリの精神に近づいたような印象を受ける作品だ。最もそれを感じたのは、『化け者手本』でいわゆる“見立て殺人”と呼ばれるミステリのガジェットが使われていたことだ。同作では「仮名手本忠臣蔵」を上演する中村座において、両耳から棒が突き出た奇妙な死体が立て続けに発見される事件が起きる。なぜ、死体にこのような奇妙な装飾が施されているのか、という謎かけが読者の関心を惹きつけるのだ。“見立て”という謎解き小説の典型的なガジェットを取り入れた理由について蝉谷はインタビューでこう述べている。

「“見立て”について推理を巡らせるという事は、人の死に意味を付けようと遊んでいる印象を受けて『怖い』と感じてしまう」 「江戸時代でも現実に起こった心中を芝居の演目にして楽しんでしまう。そういう芝居における“人の死を娯楽にしてしまう”怖さと似通ったものを“見立て殺人”にも感じたので、それを表現してみたかった」

 人間を敢えて駒のように扱い、遊戯性に富んだ物語を作り出して見せるのが謎解き小説である。そうした本格ミステリの本質に、芝居が持つ非人間的な面に着目して突き詰める事で自然に繋がったというのが『化け者手本』という小説なのだろう。同作における“見立て殺人”の真相は、かなり捻ったものであるというか、前作の『化け者心中』で描かれた世界観と合わさる事で非常に奇妙なホワイダニット小説になっていると感じた。

 先ほども記した通り、蝉谷めぐ実はミステリを書こうというジャンル意識から出発して『化け者心中』を生み出したわけでは無い。インタビューで何度か触れられている通り、蝉谷自身の関心事である歌舞伎と、自分の好きな妖怪の要素を掛け合わせた物語を書きたいという思いから『化け者心中』は生まれた。だが江戸時代の芝居が持つ、現代の倫理では測る事の出来ない“怖さ”を写し取ろうと拘った果てに、謎解きミステリの根底に流れるものへと接続するまでに至ったのだ。『化け物心中』は第10回日本歴史時代作家協会賞新人賞、第27回中山義秀文学賞、シリーズ外作品である『おんなの女房』(KADOKAWA)では第10回野村胡堂文学賞を受賞するなど、時代小説関連の受賞歴についてはデビューから4年弱で既に華々しいものがある。が、ミステリとしての注目度も、もっともっと高まって欲しいと思う。だからこそ最後に繰り返しておく。蝉谷めぐ実、もっと本格謎解き小説ファンに読まれて良い作家だ。

※本シリーズは、小学館の文芸ポッドキャスト「本の窓」と連動して展開します。音声版はコチラから。


若林 踏(わかばやし・ふみ)
1986年生まれ。書評家。ミステリ小説のレビューを中心に活動。「みんなのつぶやき文学賞」発起人代表。話題の作家たちの本音が光る著者の対談集『新世代ミステリ作家探訪 旋風編』が好評発売中。

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