北大路公子
人は感情に翻弄されがちだ。とりわけ、不安や悲しみ、恨みや憎しみといった昏い感情に。それらはじわりじわりと心を侵食していき、やがて拭っても消えないシミのように、心の隅っこに沈着してしまう。消えずとも
いない猫の代わりに 我が家から猫がいなくなって十六年、未だに「死んだ猫の年を数え」て暮らしているようなところがある。猫は十九歳で死んだので、生きていれば現在三十五歳だ。三十五歳といえば立派な大人であ
●九月二十四日 丸裸の椎茸の素に水をやる。 ●九月二十五日 丸裸の椎茸の素に水をやる。飽きてきた。 ●九月二十六日 椎茸の素に水をやる。椎茸の素は全体的に少し縮
〈前回のあらすじ〉 二〇一七年、ネットの世界は二つに分かたれていた。猫を持つ者と持たざる者である。持つ者は、日々その手にある猫を自慢した。SNSには持つ者のアップした猫画像が溢れ、持たざる者はただそ
●九月十五日 K嬢が手配してくれた「もりのしいたけ農園 栽培容器付」が届いた。一見すると普通のダンボール箱であるが、この中に今日から私の猫となる椎茸の素的な何かが入っているのだ。出会いの楽しさを満
インターネット、とりわけSNSを日々眺めていてつくづく思うのは、「世の中の人は猫を飼い過ぎではないか」ということであり、さらに「その猫を見せびらかし過ぎではないか」ということである。 実際、SNS