ワクサカソウヘイ「アリクイと同じアリの夢を見たい」#01

01 君の吸盤に恋してる
あれほどの片想いに、陥ったことはない。
相手は、タコだった。
いまもあのタコのことを思い出すだけで、胸の奥が八本の腕でぎゅっと締め付けられる。
タコってなんだ、と問われれば、いや、だからタコです、と答えるよりほかにない。
海に棲んでいて、軟体動物で、吸盤を持つ、あのタコのことである。
墨を吐き、壺を好み、イラストで描かれるときはなぜか頭にハチマキを巻かれがちな、あのタコのことである。
私はタコに恋をしてしまっていた。
恋というのは一種の病気みたいなもので、一度でもそれに囚われてしまえば、もう相手のことしか考えられなくなる。
私は人生の中で幾度となく、この恋の病に冒されてきた。同級生、バイト先の先輩、仕事仲間、友人の友人。その意中の人の顔を思い浮かべるだけで、日常生活はままならなくなる。食事は喉を通らなくなり、ため息ばかりが積み重なり、夜ごとに悶え苦しむ。知りたい、相手のことを、もっと知りたい。
ただ、片想いというのは、水中に広がる墨のようなものだ。最初は濃くても、やがてゆっくりと溶けて消えていく。
たとえば勇気を振り絞り、相手に告白をするが、不運にも断られてしまう。しばらくは傷心の日々を送るものの、あの身悶えの記憶は時が経てば忘れるべきものとして遠くへと霞んでいく。
または幸運にも、想いを成就させる。天にも昇る気持ちを味わうが、あれだけ知りたいと願っていた相手のことを、本当にすべて知ってしまえば、やがて興は醒めていく。触れることのできない未知が恋を特別なものにしていたのか、と気づいた時にはもう手遅れで、永遠だったはずの想いは色褪せてしまっている。
告白に対する返答が「YES」であっても「NO」であっても、ひとりよがりの渇望はいずれ消失の結末を迎える。
だが、片想いの相手がタコであった場合は、話が変わってくる。
だってタコは、つかみどころがない存在だ。
手を伸ばせば、ぬるっと岩陰に身を隠しながら、こちらに腕を振ってくる。
もしくは体の色や形を変幻自在に変え、岩や海藻やサンゴに化けてしまう。
だからタコに告白をしたとしても、ただ惑わされるだけだ。その返事は「YES」に擬態した「NO」なのかもしれないし、「NO」に擬態した「YES」なのかもしれない。もしかしたら、そのどちらでもない可能性だってある。
つまり、タコとの恋に結末が訪れることはない。
私はそんな永遠の片想いに、恋の深海に、吞まれてしまっていた。
恋に落ちるきっかけというのは、いつだって不意に訪れる。
私はその時、長期にわたって暇を持て余しており、四畳半の部屋の隅で無意味にただ爪をじっと見るなどして、漫然と時間を潰していた。
ああ、これ以上、自分の指先に詳しくなっても、どうにもならない。
無気力で、怠惰で、空虚な暮らし。目に映る部屋の景色には鬱屈とした空気が充満していて、私はこの世界のすべてに飽きていた。
窓の外を見ると、夏の始まりを告げる青空が広がっていた。
躍動の季節に、私はなにを畳の上でうだうだとしているのであろうか。そんな焦燥感が湧き立ってきた。
海にでも行ってみるか……。
ふと、そんなことを思った。
とにかく目の前の景色を変えなければ、この無限の暇に心の芯から屈してしまう。そうだ、海へ行こう。自分の爪ではなく、海中の魚たちを眺めよう。そうすればきっと、この惰性にまみれた暮らしからも脱出できるはずだ。
そこからの私の行動は早かった。着の身着のままに外へと飛び出し、ホームセンターで水着とシュノーケルセットを手に入れ、猛然と海を目指した。
やがて目の前に広がったのは、誰もいない平日の浜辺、穏やかな波の模様、そして青空の色を吸い込む澄んだ海原。
私はすみやかに着替えを済ませ、マスクとシュノーケル、そしてフィンを装着すると、深呼吸をひとつしてから、岩礁よりどぼんと海中へ飛び込んだ。
そこは、まさしく別世界であった。
鱗で銀色の輝きを散らしているイワシの群れ。海藻の森の隙間で忙しなく蠢くカニやエビ。無音のリズムを奏でる透明なクラゲ。ヒトデ、ウミウシ、フグ、イソギンチャク、その他諸々。水面から射し込む太陽の光のカーテンの中で、様々な生き物たちが泡と共に揺らめいている。
私は、その万華鏡のような景色を、うっとりと眺め続けた。
部屋の中で過ごしていても、ドラマなど何も起きない。電子レンジとドライヤーを同時に使ったらブレイカーが落ちた、とか、冷蔵庫の中で使いかけのベーコンが無駄に乾いていく、とか、財布の中身を整理したらすでに期限の切れた丸亀製麺の「うどん札」が出てきた、などといった地味なイベントがたまに発生するだけである。ところが、この海の中はどうだ。予期せぬ出会いで溢れていて、クライマックスの連続ではないか。私は、外出もせず無為に過ごしてしまったこの数か月の日々を悔いながら、シュノーケルで息を継ぎつつ、海の甘美なパノラマ世界を漂った。
と、その時である。
水底から、じっとりとした視線のようなものを感じた。フィンを使って近づいて見ると、黄色い眼球、横長の黒い瞳孔が、こちらの様子をじっと窺っている。
ああ、これは、タコだ。
水族館の水槽や、スーパーの海鮮コーナーではなく、自然界の中で野生のタコと出会ったのは、これが初めてなのではないか。
体表色は赤やピンクのイメージがあったが、目の前にいるタコはなんだかやけに黒ずんでいる。周りの岩の色に合わせて、擬態しているのだろうか。
こちらが顔を近づけても逃げるわけではなく、息を吞むようにして私へと瞳を注いでくる。なんだか他の生き物とは一線を画すような、不思議な存在感だ。海の中では、タコってこんな感じで佇んでいるのか。よく見れば、腕の吸盤、そのひとつひとつが体表から浮かび上がるように律動していて、妙に色っぽい。
好奇心をそそられ、人差し指を伸ばしてみる。するとタコは、隙間の奥へと「ずずっ」と身を隠してしまった。
ああ、急な接近で驚かせてしまったか。もう少し、観察してみたかったのに。
どうにも去りがたく、向こうの気をなんとか引くことはできないものかと思案する。しかし、ここは水中だ。「こんにちは! とても素敵な吸盤ですね。もっとよく見せてくれませんか」などとナンパの声を発することなどできない。シュノーケルを口に咥えているので、表情でなにかを語り掛けることも不可能だ。できることはただひとつ、人差し指をくるくると動かすことだけである。
好意の心情を込めて、相手を誘いかけるようにしながら、ねっとりとした指先のダンスを試みる。
すると。
隙間から、二本の腕だけが、隙間の奥からくねくねっと這い出てきて、私の人差し指に官能的に絡みついてきたではないか。
瞬間、ぞくりとした感覚が走った。
その艶めかしい感触に囚われ、私は無意識に、さらに他の指を一本ずつ差し出していた。一本、また一本。
そのすべての指の隙間を、脈動する吸盤が愛しむように抱擁する。
なんだ、なんなんだ。このタコ、自分に気でもあるというのか。
思わぬボディタッチに、私は動揺した。
私は、こういうのに弱い。
中学生の頃、昼休み。隣の席の同級生との何気ない会話の最中に冗談を言ったら、「やだー、もー」と肩を軽く叩かれた。ただそれだけなのに、「意識されている……!」と勘違いして、恋に落ちたことがある。
そして私はいま、このタコに「やだー、もー」とばかりに、手のひらを撫でられている。
ずっと、こうしていたい。この吸盤の感触をドキドキしながら味わっていたい。しかしエラ呼吸のできない私は、息が続かず、後ろ髪を引かれながらもタコの吸盤から離れて、水面へと上昇する。
深呼吸をして、息を整える。それから、また水底へと戻る。
すると、どうだろう。そのタコは陰から身を乗り出し、全身を露わにしながら、私のことを待ち受けているではないか。
意識されている……!
私は何度も何度も、息継ぎを繰り返しながら、岩場へと潜り、指と吸盤とを絡ませた。
そうやって日が暮れるまで、タコとのデートを楽しんだ。
そこからはもう、タコに夢中になった。
知りたい、相手のことを、もっと知りたい。この頭足類について書かれている図鑑や書物を読み漁り、より親密になれる術はないものかと陶酔するように探った。
未知との遭遇は、すでに片想いとして形を変えていた。
タコという生き物は、知れば知るほどに、謎めいた生き物であった。
「人間の顔を見分けるほどの能力がある」
「吸盤によって獲物の味や匂いを判別し、さらには周囲の環境をも知覚する」
「実は、進化の過程で殻を捨てた、貝の仲間である」
貝の仲間なの……! 私はのけぞった。
猿がやがて人間に進化した、というのであれば、まあ想像はできる。しかし、アサリやハマグリのような貝が、やがてあのエイリアンのような知的生命体たるタコへと進化しただなんて、あまりにもアクロバティックすぎやしないか。変だ、タコって、変である。
私は昔から、「変わった人」に心を奪われてしまうところがある。
中学生の時、想いを寄せた「やだー、もー」の彼女も、思えば変わった性格をしていた。
授業中、なぜかノートいっぱいにモアイ像の絵を描いている。
必ず最初に牛乳を一気飲みしてから、給食を食べ始める。
掃除の時間、聞いたこともないメロディの鼻歌を口ずさんでいる。
そのささやかな「変わった性格」を感じるたび、私はどんどん彼女に惹かれていった。
掃除当番が一緒になった日のことだ。勇気を振り絞り「それってなんの曲?」と鼻歌について尋ねてみた。
彼女は少しだけキョトンとしてからすぐに微笑みを浮かべ、こう答えた。
「秘密」
私はモップを持ったまま、心臓をバクバクとさせた。この世界の中には、もう彼女しか存在していなかった。
そして、いま、私の世界には、あのタコしか存在していない。
「キミってどんな貝?」
「秘密」
片想いが、加速していく。
その夏、一心不乱に、海へと通い詰めた。
いつもと同じ隙間に、あのタコは潜んでいた。驚くべきことに、私がまたやって来たことを知ると、必ずタコは腕をくねくねと揺らしながら岩場の上へと姿を現すのである。
そして、こちらへと腕を伸ばしてくる。もちろん私も、それに応える。
タコは私の指先の味を、私はタコの吸盤の感触を、互いに堪能する。誰も知らない、秘密のデート。恍惚の境地が、そこにはあった。
ただ、逢瀬を重ねるうちに、次第に気にかかることが出てきた。
タコが伸ばしてくる腕は、八本のうち、決まって二本だけなのである。
タコの腕は、濃密な神経系統を持っている。「知覚能力」が腕ごとに宿っている状態であり、一説によれば八本それぞれが異なった個性を持っているのではないか、とも言われている。
ということは。
このタコの腕のうち、二本は私に対してきっと興味を抱いてくれている。しかし、残りの六本はもしかしたら、ひそひそとこんなことを囁き合っている可能性がある。
「えー、やめておきなよ、そんなやつ」
「そうだよ、毎日ここに遊びに来るって、絶対ヤバいって」
「どう見ても、服の袖に乾いた米粒を付けてそうなタイプじゃん」
「わかる、靴下をすぐに片方だけなくしたりしてそう」
「たぶんだけど、まともに納税とかしてないよね」
「友だちだから本音で言うね、付き合わないほうがいいよ」
おいおい、余計なことを言うんじゃない。せっかく、この二本の腕といい感じの雰囲気なのだから、外野は黙っていてくれ。
なんとか他の六本の腕にも気に入ってもらえないかと、指先での媚びを試みるが、「触らないで! あっち行って! 訴訟を起こしますよ!」といった感じで、拒絶される。
しかし、タコ本体が岩場から逃げるわけではない。
じゃれ合いを楽しむ二本の腕と、つれない六本の腕。
いったい、どこまでがこのタコの本当の心なのか。
惑わされ、翻弄され、そして私はますます、恋へと落ちていく。
海へ行くことができない日も、私は部屋の中で、もしくは街を歩きながら、ずっとタコのことを考えていた。
あの八本の腕、すべてに気に入ってもらうためにはどうしたらいいのだろうか。
タコは視覚によって人間の顔を判別することができるわけなのだから、あのタコにもっと興味を持ってもらえるように自分の色気を高めればいいのではないだろうか。そんなことを考えて、化粧水を購入し、お風呂上がりにそれをバシャバシャと顔全体に打ちつけたりした。鏡を見て、「絶対、キレイになってやるんだから……!」と、ぎゅっと唇を結ぶ。そして、今ごろ、あのタコはどう過ごしているんだろう、と想いに耽る。
会っていない時間こそが、慕情を高めていく。恋とはやはり病気であって、相手が目の前にいなくても、頭の中の蛸壺は相手の姿でぎゅうぎゅうになる。そうやって幻想が膨らみ、私たちは恋の深みへと落ちていく。
そう、想いを寄せている相手とは、もしかしたら自分が勝手に作り出したまぼろしなのかもしれない。でも、まぼろしだからこそ、いつだってその人の滲む輪郭や朧げな仕草を思い浮かべることができる。あの月は、あの人が見ている月と同じ月なんだ、というふうに。
相手の正体がまぼろしである以上、相手を想う時、すでに我々はその人と会っているのかもしれない。
私は海に潜っていない時でも、あのタコとの逢瀬に溺れていた。
恋とは、幼稚化するということでもある。
相手にしか見せることのできない自分を開示しているうちに、相手にもすべてを自分にさらけ出してほしいと願うようになる。そうやって、執着や束縛が生まれていってしまったりする。
その日も私は、海の中でタコとの逢瀬を紡いでいた。
タコの寿命というのは、多くの場合が一年ほどであるという。そして、その生涯の最後に、一度だけ繁殖活動を行う。つまり、誰かに恋心を捧げるのは、たったの一回なのだ。
そして私は、このタコの運命を、独り占めしたいと願った。どうか他のタコのところに行かないでほしい。私の指から吸盤を離さず、一度きりの恋など知らずに、ずっとこのまま、ここでこうしていてほしい。
しかし、その願いが叶うことはない。これは、片想いなのだ。私はいずれ、陸へと戻っていく。タコは、海でしか生きることができない。
人魚姫は王子に恋をしたが、生きる場所が違う者同士のすれ違いは、やがて不幸な結末を迎える。人魚姫は最後、海のあぶくとなって消えたのだ。
ここにあるのはそれと同じく残酷な悲恋で、私たちは別れが決定づけられている運命なのである。
ならば、このタコのことを捕えて、家で飼育してしまおうか。一緒に暮らし、同じ朝日を浴び、同じ暗闇の中で眠るのだ。そうすれば、このタコは私だけのものになる。
いや、しかし。タコの飼育というのは、非常に難しいという話を聞いたことがある。私は不器用で、人工海水の用意やポンプの手入れをこまめに行うことなんて、できる自信がない。
では、それ以外の方法で、タコを私だけのものにするには、どうしたらいいのか。
こんなにも好きなのに、こんなにも想っているのに、食べてしまいたいほどに愛しんでいるのに、為す術がないなんて。ああ、片想いって、なんて切ないんだ。
……ん? ……食べてしまいたいほどに?
ああ、だったら、いっそのこと。
本当に、食べてしまうというのはどうか。
唐突に、そんな危うげな心情が私の中に波立つようになった。
このタコを網で捕獲し、クーラーボックスで自宅へと持ち帰り、そして酢の物やタコ焼きにして、胃袋の中へと収める。そうすれば、私とタコは、ひとつになれる。この恋は、酢や青のりを和えることで、完全なものとなるのだ。
そうだ、このタコを、食べてしまおう。私は決意した。恋心は、猟奇的なものへと煮え立っていた。
しかし、そこで浜辺に掲げられていた看板のことを思い出す。
なにか、タコに関する文言が、書かれていたような。
海から上がり、その看板の前に立つ。するとそこには真っ赤な文字で、「タコの採取は禁止」と明記されているではないか。
だめだ。禁漁規定の前では、この片想いを果たすことなどできない。
そこでハッと、我に返る。
片想いの相手を食べようだなんて、私はなんてことを考えていたのか。
私は海の中へと舞い戻った。いまやるべきなのは、別れの予感に心を萎ませることではない。いまという二度と戻らない時間を、片想いの相手に全力で傾けることだけだ。
しかし、戻った先の水底には、タコの姿はどこにもなかった。
周囲の岩場を探しても、海藻の茂みを搔きけても、砂地のどこに目をやっても、もうあのタコと出会えることはなかった。
私が一瞬でも、捕食の念を浮かべたことを、なにかしらの知覚能力で察したのか。それとも他の誰かの元へと去ってしまったのか。
そうか、そうなのか。終わったんだ。蜜月は、終わってしまったのだ。
片想いは永遠のものとなり、私は浜辺へと打ち上げられた。
片想いというのは、相手の内面に広がる未知の世界に魅せられることなのだと思う。人間であれタコであれ、相手が自分の知らない「なにか」を抱えていると気づいた瞬間、人は心を奪われる。
片想いは、いつだって切ない。
それは想いが相手に届かないから切ないのではない。むしろ届いてしまった瞬間に、そこから未知が失われ、やがて恋心そのものが消滅してしまうという、その事実の横たわりが、我々を切なくさせるのだ。
私の想いは、あのタコに届いていたのだろうか。その答えは海の中にあぶくとなって消えていった。ただ、互いが互いの未知を探ろうと、指と吸盤を重ねたあの瞬間が何度もあったのは、確かである。あれは恋ではなかったと、いったい誰が言えるのだろうか。
あれほどの片想いに、陥ったことはない。
相手は、タコだった。
妖艶な吸盤を持つ、二本の腕だった。
ワクサカソウヘイ
文筆家。1983年東京都生まれ。エッセイから小説、ルポ、脚本など、執筆活動は多岐にわたる。著書に『今日もひとり、ディズニーランドで』『夜の墓場で反省会』『男だけど、』『ふざける力』『出セイカツ記』など多数。また制作業や構成作家として多くの舞台やコントライブ、イベントにも携わっている。