ことばって何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、ここにあると指さすのが、ことばだ。
この数年、繰り返しページをめくった本がこの『詩ふたつ』だった。
「花を持って、会いにゆく」「人生は森のなかの一日」という長田弘さんの詩2篇とグスタフ・クリムトの絵で構成された詩画集と出会ったのは、湯河原にあるブックカフェだった。
雨の降る5月、目の前にしぶきを上げながら落ちていく滝と雨の混ざった音、そのひんやりとした湿気に包まれて、私の中の「ことばにできない思い」をやさしくすっとすくい上げてくれるような詩に救われた。この時は性暴力からPTSDを発症し、鬱症状が強くなっていた頃だった。こういう気持ちの落ち込みの波とは、すでに数年間ともに生きていたので、どういった状態に自分が陥るのかだいぶ理解できるようになっていた。こんな時は大抵、本が読めなくなる。文字が頭に入らず、言葉たちが意味を持たないでスルスルと抜けてしまうのだ。
でも、この本は違った。ここに書かれている言葉たちは、読むという能動的なアクションを起こさなくても、ページをめくる度にじわっと、ゆっくりと吸収されていった。最後のページを閉じたら、胸のあたりが和らいでやっと深く呼吸ができた。
この本と出会えて、ここ数年の苦しくて眠れない夜や、誹謗中傷などにより日本での暮らしが苦しくなっていた会見直後、イギリスにある自宅に住むといいと手を差し伸べてくれた恩人の死と向き合えた。言葉のパワーを信じさせてくれた一冊だ。
『詩ふたつ』
長田 弘 著(クレヨンハウス)
長田弘の「絆」の詩篇に、クリムトの樹木と花々の美しい絵を添えた生と死の狭間をつなぐ詩画集。
伊藤詩織(いとう・しおり)
映像ジャーナリスト。BBC、アルジャジーラ、エコノミストなど、海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信。性暴力被害についてのノンフィクション『Black Box』は9ヶ国語/地域で翻訳される。
『裸で泳ぐ』
伊藤詩織 著(岩波書店)
あの日25歳だった私はいま、33歳になった。声をあげ、日本の #MeToo 運動を切り拓いた著者が、それからの日々を綴った初のエッセイ集。
〈「STORY BOX」2022年12月号掲載〉
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