学生時代、同じ大学生が主人公の長編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を手に取ったのをきっかけに私は村上春樹の作品を愛読するようになった。
それまでは、村上春樹=難しいというイメージを持っていて、なんとなく遠ざけていた。けれど、今では村上春樹作品なしの人生はどんなものか想像がつかないほどだ。
彼の作品を読んでいる間、私は不思議と物語と自分自身のどこかが繫がっているように感じられるのだ。いや、自分の一部が縛り付けられている、と言う方が近いかもしれない。
私にとって、彼の紡ぎ出す物語は単なる娯楽や逃避ではなく、むしろ現実世界に潜む新たな自分に向き合わされるものなのだと思う。
彼の作品を通して、私は自分でも言葉にできなかったまだ名前のない感情に出会い、戸惑い、そして、必死にそのカタチを物語の中から探り出そうとする。
しかし、多くの場合その〝答え〟は最後まで物語の中には見つけることができない。
それでは不完全燃焼では? と思われるかもしれないが、本を閉じた後、私はいつも新しい眼差しをもっている。そして、現実世界の中に、物語の延長線上の答えを無意識に探しているのだ。
その新しい眼差しは、日常生活を営む上では必要のないものかもしれない。だけど、そんなものこそが日々を豊かにしていくのだろうと思う。
私は、村上春樹作品に読書をする意味、また、その能動性について、身をもって教えられたのだ。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
村上春樹 著(文春文庫)
過去に向き合うため、高校時代に自分を傷つけた4人の友人たちに会いに行くことを決めた多崎つくる。巡礼中に彼の心に芽生えたものは?
モモコグミカンパニー
〝楽器を持たないパンクバンド〟BiSHのメンバー。読書家でもあり、バンド内で最も多くの楽曲の作詞を手掛ける。著書にエッセイ『目を合わせるということ』『きみが夢にでてきたよ』と初の小説『御伽の国のみくる』がある。
『御伽の国のみくる』
モモコグミカンパニー 著(河出書房新社)
アイドルになる夢を抱いて上京するがうまくいかず、メイド喫茶で働く友美。けれども叶わぬ夢にしがみつく時間が長くなるほど、自分の中の弱さや虚しさが炙り出されていき……。アイドルという危うい虚像の周辺でもがく人々の心理を鋭く描いた、モモコグミカンパニー初の小説作品。
〈「STORY BOX」2022年8月号掲載〉
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