井上荒野『だめになった僕』

井上荒野『だめになった僕』

時を逆行する男と女の物語


「アレックス」という映画がある。製作は2002年となっていて、私が観たのも、たぶんそれからすぐのことだから、20年以上前のことになる。

 物語の筋は単純で、モニカ・ベルッチ扮するアレックスが、パーティの帰りに見知らぬ男からレイプされる。映画として独特なのは、このストーリーが、時系列を遡って──事件が起きた後を冒頭のシーンとして、そこから少しずつ過去に戻っていくかたちで、物語られるという方法だ。

 解説によればレイプシーンは9分間に及び、その残虐な描写には賛否両論あったようだ。私にしても、好きな映画というわけでもない。ただ、時系列を遡るという作りかたは面白い──この映画のテーマからすれば不謹慎な言い様だが──と思った。

 通常の、時系列に沿った方法では、読者(視聴者)は、登場人物たちと一緒に、物語を経験していくことになる。一方の、時系列を逆行する方法だと、始まりの時点では、登場人物たちがすでに経験している。読者(視聴者)は彼らの現在を見て、一体何が起こったのか、どうしてこんなことになっているのかを想像するしかない。そして物語が進行(逆行)するにつれ、「どうして」のピースを得ていく。

 この「ピースを得ていく」というのは時系列通りに進む物語でももちろんあって──それはたとえば誰かの出生の秘密であったり、誰かと誰かの秘められた因縁であったり──そのようなピースを出すタイミングは作家にとっての考えどころでもあるのだけれど、ここに「時系列の逆行」という要素が加わった場合、また違った面白さが生まれるのではないかと思った。

 そうして、そのような方法で小説を書くのなら、とくに大きな事件や謎がない、ありふれた話にしたい、と考えた。「ありふれた」と今、便宜上書いたけれど、人間が生きていく物語である以上、どんな人生も「ありふれた」と言い捨てることなんてできないのではないか。人間はみんなオリジナルだし、彼らの人生も、遠目に見ればありふれた平凡なものだったとしても、近づいてみれば、目を凝らして見れば、ユニークで独特で、唯一無二なのではないか。ずっと小説を書いてきて、また、小説を読んできて、最近そのことを強く考えるようになった。

 というわけで、ありふれた恋愛物語を、今まで書いたことがない手法で書いてみた。読み終えて、語り手である涼と綾の幸せを願うのか、それとも破局を望むのかは、読者次第。願わくは、小説中の言葉ひとつで、それまでの印象ががらりと変わったりすると、著者としては嬉しいのだけれど。

 ちなみにタイトルは、森田童子の「ぼくたちの失敗」の中の一節「だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう」から取りました。

 


井上荒野(いのうえ・あれの)
1961年東京生まれ。『潤一』で島清恋愛文学賞、『切羽へ』で直木賞、『そこへ行くな』で中央公論文芸賞、『赤へ』で柴田錬三郎賞、『その話は今日はやめておきましょう』で織田作之助賞を受賞。他に『あちらにいる鬼』『百合中毒』『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』など多数。近作に『僕の女を探しているんだ』『照子と瑠衣』『錠剤F』『ホットプレートと震度四』『猛獣ども』などがある。

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著/井上荒野

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