根本宗子『今、出来る、精一杯。』刊行カウントダウンエッセイその3「想像力の原点」

『今、出来る、精一杯』新刊エッセイ

想像力の原点


「お友達の気持ちになって考えてみましょう」

幼稚園や小学校で、このようなことを先生がよく言う。

これは大人になって、生きていく上でとても大切なことだと思う。

わたしはあまり学校という場所に良い思い出もなければ、今を生きる上で大切なことを習った記憶も正直ない。大切な友人と出会う場所ではあったが、学んだことは少なく、こちらから生きていく術を拾いに行った、という表現の方がしっくり来る。

どちらかと言えば「先生も人間なのだな、自分も大人になってストレスを抱えるといつかこうなるのかな」と思う瞬間の方が子供の頃から多かった。昔からどこか冷めた部分があり、子供なのに子供らしくできない、という悩みを子供ながらに抱えていたわたしは、学校の先生に対しても「こんな子供をたくさん相手にする仕事めっちゃ大変だよな」と物凄い余計なお世話なことを考えていた。

隣のクラスの先生のやり方が気に食わないと自分の担任の先生が泣き出した時も、クラスでお弁当を食べている最中、担任の先生が別の先生に呼ばれ慌ただしく校内を走り回って仕事をしていて、ようやく担任が戻って来た時には昼休みは終わっていて、生徒全員が「先生戻ってこなくてラッキー!」と騒いでおり、それを見た担任が「なんでラッキーなんだ、わたしのお弁当を誰か片付けておいてくれてもいいでしょ?優しくない!!」と叫んだ時も、「今日は機嫌が悪いので授業こわいと思う」と授業開始時に言われた時も、なんかとにかくわたしの記憶の中の教師たちは皆「先生って大変だよね」って思うエピソードばかりなのだ。そしてこれはどれも女の先生の思い出だ。その結果早く大人になりたい気持ちと、大人になってこうなるのが嫌だ、というどちらの気持ちも抱えながらわたしは気がついたら大人になっていた。

生徒だったわたしからは先生がヒステリーを起こした一面しか見えていなかったが、大人になった今なら大概の人間は意味なくヒステリーを起こさないことくらいよくわかる。わたしたちには見えないところでいろんなことがあって、隠して明るくしなくてはいけなくて、それが爆発する瞬間がたまたま生徒の前で来てしまいヒステリーに繋がっている、みんな子供の前でなど泣きたくないだろうけれど、「こいつの前では泣かない!」と繰り返していたら、「こいつ」ではない子供達の前でダムが決壊してしまったのだろう。ある意味わたしたちは先生から信用されていたのかもしれない。ポジティブに捉えれば、いわゆる八つ当たりは甘えの一種なのでその一面を見せてくれたってことは心を開いてくれていて案外寄りどころになっていたのかもしれない。もちろん我々が与えていたストレスもすごいだろうから「お前らああああ!!」でそうなっていたかもしれないので、だとしたら本当に申し訳ない。こういったことを考えるには、想像力を使って見えない相手の多面を補って理解することが必要だ。どこまで行ってもこちらの想像の中の話なので正解はわからないが、いくつかのバリエーションで相手の内面を想像しておくと、何かあった時に理解しようという作用に繋がる気がわたしはしている。

「女の子ってすぐ涙出ちゃうから損だよね」

これはわたしが24歳の時に書いた芝居の中の登場人物が彼氏と喧嘩して女と友達の家に駆け込んできた時に言うセリフだ。

ヒステリーは女に限ったことではないが、やっぱりそうなる割合は女子の方が多い気がする。自分にももちろんその要素はあるし、若い時はヒステリーを起こしたことも散々ある。でもそれを重ねていくうちに、絶対的に泣いた方が損だし、話も聞いてもらえない。「叫んだ」ということだけになってしまう。いくらド正論で戦っていてもヒステリックに涙を流すと、「キーキーうるさい、冷静になって欲しい」みたいな部分だけが切り取られてしまい、最終的に何故かこちらが悪いような空気になる。そういった経験を重ね、大抵のことでは人前でそうならない心を20代で鍛えてきた気がしている。でもこれを鍛えすぎると一人ですべてを対処しなくてはいけないことになるので、小出しに出来る相手と対話をしつつ、自分のことをしっかりコントロールしていくことが日々楽しく生きていくコツなのだなと仕事を始めて13年目でようやく言葉にできている。そのためには対話出来る相手、が誰にだって数人ずつ必要だ。

何が言いたいって、誰かの心のダムが決壊した時に、それが大事な人や近しい人だった場合、「うわー・・・わっかんねー」ってせず、少しその背景を想像してみて欲しい、という話だ。SOSが下手な人に限ってこうなってしまうことがあると思うし、「めんどうくさい人」とされてしまいがちだが、その人がそうなるまでには背景があるはずだし、早めに対話をすることが大切な世の中なようにも感じている。

何歳になっても、どこまで行っても「お友達の気持ちになって考えてみましょう」を続けることがわたしは大切なんじゃないかと思っている。

学校はそれを教えてくれるところだった、と思えばめちゃくちゃ通った甲斐がある。 

(つづく)

 


根本宗子(ねもと・しゅうこ)
1989年生、東京都出身。19歳で月刊「根本宗子」を旗揚げ。以降すべての作品の作・演出を務める。近年の演劇の作品として 2018年『愛犬ポリーの死、そして家族の話』、2019年『クラッシャー女中』、2020年『もっとも大いなる愛へ』などがある。本書が初の小説となる。

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