吉川トリコ「じぶんごととする」 5. NYで夢を捨てる【アップタウン編】
作家・吉川トリコさんが自身の座標を定めてきた、あるいはこれから定めようとするために読んだ本を紹介するエッセイです。
ニューヨークを舞台にした物語といえば、『ティファニーで朝食を』をいちばんに思い出すが、ニューヨークに行くにあたってわざわざ読み返そうとは思わなかった。とくに理由はなく、そういうんじゃないだろうという気分がまずあった。
『ティファニーで朝食を』
トルーマン・カポーティ 訳/村上春樹
新潮文庫
ニューヨークのガイドブックをめくっていると、五番街にあるティファニー本店の六階に、実際にティファニーで朝食ができるカフェがオープンしたとあった。ティファニーブルーの内装と調度でコーディネイトされた極めてロマンティックな空間で、クロワッサンとコーヒー、季節のフルーツの朝食がいただけるんだとか。
そういうんじゃないだろうとそれを見てやっぱり思った。そんなことにしてしまったらだいなしじゃないか。というかそもそも『ティファニーで朝食を』ってそういう話だったっけ? と首を傾げたくもなるのだが、あの作品で描かれていたティファニーを資本主義の象徴だと考えると、違和感をおぼえる私のほうがまちがっているのかもしれない。
消費衝動に抗えないマテリアルガールであるところの私は、資本主義を否定したくてもしきれないようなところがあるが、夢見がちなミーハー女であるところの私は、夢見ることにできるだけ潔癖でいたいと思っている。その矜持が、「そういうんじゃないだろう」に集約されているというわけだ。そんなお安い夢の実現で腹を満たすぐらいなら、「武士は食わねど高楊枝」的マッチョなサムライスピリットでいかせていただきます! とついむきになってしまう。
ニューヨークにいるあいだ、持っていった文庫本(『ムーン・パレス』)を読む気になれず、滞在していたアパートの主人(か)氏の本棚から『モンキービジネス』のサリンジャー号を拝借して「バナナフィッシュ日和」を読んだりもしていたのだが、どうしても『ティファニーで朝食を』が読みたくなってKindleで購入してしまった(ちょうど新潮文庫のセールがやっていて飛びあがるほどうれしかった)。ニューヨークに行くからといって『ティファニーで朝食を』をわざわざ本棚から引っぱり出してくるのは「そういうんじゃないだろう」にあたるが、ニューヨーク滞在中の眠れない夜に『ティファニーで朝食を』をKindleで読むのはそのかぎりではない。我ながらよくわからない線引きである。
ニューヨークの街はそれぞれの地区によってまったく異なる景色を見せる。旅行者にすら見て取れるほど、階層がはっきりと異なるのである。レストランやカフェの値段も、服や雑貨の価格帯も、ブルックリンと比べるとマンハッタンのほうが総じて高いし、ダウンタウンよりはミッドタウン、ミッドタウンよりはアップタウンと徐々に物価があがっていき、白人の比率もあがっていく。
Google マップをたよりに毎日二万歩近く歩きまわり、こまかな地区の名前や位置関係を理解するにつれ、『SATC』や『ゴシップガール』の解像度があがっていくのを肌で感じた。あの続編(やリブート版)が配信された後の二〇二三年夏、世界中のどんなものより上がらなくていい解像度がめきめきと音をたてて。
『ゴシップガール』の劇中で、アッパーイーストサイド生まれアッパーイーストサイド育ちのブレアが、ブルックリンからやってきたダンをさんざん見下し、「ブルックリンってどこにあるの? いちおうニューヨーク?」ぐらいのかんじでいたことを、滞在中、何度思い出したことか。しかし、なんとなくそのかんじがわかってしまうほど、ブルックリンとアッパーイーストサイドでは別の国のように街並みも雰囲気もちがっていた。
いまさら解像度を上げてどうするとかいいながら、『ゴシップガール』のロケ地の近くを通りかかると、「ま、とりあえず見ていくか」と魔がさしていそいそと写真を撮り、インスタに投稿したりなんかした。『BANANA FISH』に出てきた場所や「ビル・カニンガム・コーナー」も訪れてみたし、コニーアイランドやダコタハウスも見にいった。
『BANANA FISH』1〜11
吉田秋生
小学館文庫
『BANANA FISH』1〜19 ※電子版
吉田秋生
小学館
それでもどうしても五番街のティファニー本店には足を運ぶ気になれなかった。ホリー・ゴライトリーと「僕」が暮らしていた「おなじみのブラウンストーンの建物」がある「イーストサイド七十二丁目あたり」にもいっさい近づかなかった。
だって、なんか、「そういうんじゃないだろう」ってかんじだし、実際に訪れてしまったら、なにかが終わってしまうんじゃないかという予感があった。ほんとうに我ながらよくわからない線引きなんだけど。
「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べる」ことをホリーは夢見ている。「ティファニーの店内にいるみたいな気持ちにさせてくれる場所」を見つけて暮らすことも。
そんな夢は実現しっこないし、この世界のどこにもそんな場所は存在しないから美しいのだ。仮に存在したとしても、おそらくそれは、ぜったいに自分のものにはならないティファニーのような場所なのだろう。そうでなくっちゃと思う。そしたら死ぬまで夢を見ていられる(しかし、二〇二三年現在、ちょっとお金を出せば少なくとも「ティファニーで朝ごはんを食べる」ことはできてしまう! だいなし! だいなし!)。