乗代雄介〈風はどこから〉第7回
第7回
「古墳時代に思いを馳せよう」
5月下旬、薄曇りの朝に群馬県の伊勢崎駅で下車。前橋に滞在して観光したりザスパクサツ群馬の試合を観戦したりしていたが、この日は両毛線で伊勢崎駅に出て北へ向かって歩き、ぶつかった上毛線のどこかの駅から前橋の方まで帰るというスケジュールである。こうした鉄道の使い方は、柳田國男が推奨している。
闇雲に歩いても仕方ないので、大体の道筋となる川があるとうれしい。というわけで線路沿いを歩いて出た粕川沿いを北上することにした。なんということもないが、両岸に草の生い茂る歩道はどこでも気分がいいものだ。
と、傾斜のある排水路から勢いよく水が流れ落ちて白くなったところにゴミが溜まっている。上からの水が川の水面下に潜るため、発泡スチロールとかペットボトルとかの浮くゴミが吸い込まれるように出て行けず、いつまでも盛んに上下している。そこに一つのボールがあった。ビーチボール大の、でもそれよりは重さのありそうなプラスチック製と思しきもので、紺色と水色できっちり半分に色分けされている。これが、水の谷間にぐっと沈み込んでしばらく見えなくなったあとでポーンと空中に飛び上がるものだから、私はずっと見ていた。この連載のための写真は、全くこだわりが無いためほぼ全て一発撮りだが、ここでは10枚ほど撮った。
とりあえず納得できるものが撮影できたので歩き出す。粕川を離れて華蔵寺へ参拝。隣は華蔵寺公園という名の大きな公園で遊園地まである。ちょうどスタッフが続々と出勤して来る時間だった。制服の黄色いブルゾンには半袖と長袖があるらしい。観覧車下のシャッターが連続で開く音を聞きながら公園内の丘を上り、巨大なクワガタムシの上に設えた長いすべり台をすべる。終着点でちょうど犬の散歩の前にすべりこむ形になり、さりげなく距離をとる柴犬を見ながら飼い主さんに笑って会釈した。
こういう時に猛烈に感じていたはずの恥ずかしいという感情がなくなったのはいつからだろう。「すべり台を一人すべる男って、傍から見たらかなりヤバいのでは」みたいな自虐を出汁にした文章も大昔ならはりきって長々やれた気がする。もう自分も時代も変わり、無心ですべり、あったことを書くのみである。これも事実として書くと、この時にイヤホンから流れていたのは The Greg Kihn Band「Big Pink Flamingos」。1976年デビューのバンドだが、2017年のアルバム『Rekihndled』収録の新しい曲だ。オリジナル・メンバーはフロントマンのグレッグ・キーンしか残っていないが、現メンバーにはプログレ界では名の知られたロバート・ベリーもいる。シンプルなロックと、アルバムタイトルは〝Kihn〟を入れた造語という妙なこだわりを性懲りもなく40年続けていて、グレッグ・キーンはえらいなと思う。私も少しずつ年を取り、継続の価値とそれを支える衝動の尊さを思い知るばかりなのだ。
みたいなことをすべり台に腰かけたまま考えていたら、スピッツの「醒めない」を思い出したから聴いてみる。「最初ガーンとなったあのメモリーに 今も温められてる」のだろうな、グレッグ・キーンも。ノッてきて「Big Pink Flamingos」のMVを目一杯の音量で視聴する。この公園にこの歌が響くのは今日が初めてのはずだ。グレッグ・キーンの後ろでは、ごく簡単な合成でセクシーな格好をした女性が踊っている。それを見たい感じで後ろを振り返った頭頂部はさすがに年で薄くなっているのだが、向き直った顔は満面の笑みを浮かべており、なんだか元気が出る。
そばにあったバードドームはまだ開いていないが、金網越しにもインコが沢山いることはわかる。グーグルマップのコアラネコさんのクチコミによると「鳥のマンションみたいなお家から顔を出している姿がとっても可愛い」とのこと。それは可愛いだろう。外からではよく見えないので、是が非でも再訪したい。
華蔵寺公園を出て、東に古墳らしき小さな丘を見ながら歩く。蟹沼、波志江沼、赤堀花しょうぶ園と北へ進んでいけば、水辺を離れるほどに景色は田圃から麦畑に様変わりする。ぼんやり白く光って見える芒の長い大麦畑と、ぎゅっと締まった小麦色の畑が道を挟んで広がっている。そのコントラストが最も際立つ収穫時期で、右も左もコンバインが動き回り、軽トラックが路肩で積み込みを待っていた。
ところで群馬は、約2000基が現存する古墳王国である。麦畑と養鶏場を抜けた先、広々とした場所に前二子古墳がある。墳長94メートルの美しい墳丘は空の下で新緑の薄化粧をして、何本か縁を留めるように立っている背の高い松の影が外へ放射状に落ちて清々しい。良いところである証拠に、JR東日本のCMにも使われたことがある。そのCMで吉永小百合が入って行く横穴式石室はとても立派で、玄室の手前までのびる長い羨道には電灯までついている。石も整然と積まれて荘厳な雰囲気だ。墳丘の上に登っても清々しい。
前二子古墳があるからには後二子古墳もあって、さらには中二子古墳もある。どれも国指定史跡の大きなものだ。他にも沢山ある古墳や沼や森や原っぱのあるこの一帯は、日本キャンパック大室公園として市民の憩いの場となっている。名前からもわかる通り、ネーミングライツである。日本キャンパックは各種飲料の調合から充填、包装、物流までを一貫して行う国内トップクラスの受託充填企業(コントラクトパッカー)とのこと。そういえば、華蔵寺の遊園地も現在の愛称は〈Auto Mirai 華蔵寺遊園地〉らしい。「現在の愛称」という言い方がこの制度の歯がゆさを物語るが、それを乗り越えるには、やはり継続しかない。
大室公園を隈なく見て回ったらもう12時を過ぎていた。ヤマツツジの群植の真ん中に座りこんでお昼を食べる。傍らの石碑によると、近隣地域で昔から大切に育てられていたのを移したものだという。確かに、一方向へ奔放に伸びた枝がお里を知らせる感じがある。ここで育ったならこんな枝にはなるまい。
この大室という地は継続して栄えていた場所で、各時代の史跡が残る。公園を出て西へ、城趾や石仏を伝うように歩いていたら丘の下に鳥居を発見。行ってみれば「伊勢山古墳」とある。上にお稲荷さんを祀っているらしい。と、傍らにある石碑の字面に見覚えがある──ついさっき大室公園で見たのとそっくりだ。読んでみると、この地から大室公園にヤマツツジを移したとのこと。見上げれば確かに、丘を埋めるヤマツツジ。さっき見たのは、この斜面から光を求めて一方向へ枝を伸ばしていたのだった。
大正用水沿いを東へ戻るように歩く。人も車も通る気配がない大きなカーブに看板があって、知育人形のぽぽちゃんが「ゴミをすてないで」と訴えている。くくりつけられている。ストリートビューを見ると、2022年2月には看板だけでぽぽちゃんは確認できず、この1年ちょっとの配属らしい。先にもう一つ真新しい看板があり、ここでもぽぽちゃんが頑張っていた。頭にはリボン、ピンクの服も前掛けも汚れ一つなく柔らかに波打っている。こちらは3日前の雨を浴びたようにはとても見えない。この調子で増え続けるのだろうか。
古墳は千年、ヤマツツジは百年そこにあるが、ぽぽちゃんは何年もつだろうか。人形でも幼い子供の目があれば不法投棄も止まるかもしれない──という人間のまだ新しい希望を、辺鄙な路傍でたまたま目にすることが、私にはおもしろくてたまらない。
日本キャンパック大室公園の500メートル北というところに出てさらに北、上毛電鉄を目指す。頭無沼をぼんやり眺め、女渕城址公園へ。堀から沼からほぼ古地図通りで、戦国時代の平城の構造がよくわかる。看板によると40年前は荒れ果てて水も少なかったらしいが、ここまで整備されたということだ。
細い水路をたどると上毛電鉄の線路を渡る踏切がある。西に新屋駅、東に粕川駅があり、帰りはどちらかになるだろう。と、踏切の先に「史跡 魔住田ヶ淵跡」と刻まれた石碑を見つけた。裏面には「此の地は高野辺家成の姫の伝承地であるが、昭和五十三年度群馬県営粕川土地改良事業によって平夷された 南北二五四米東西一八米深さ六米の淵であった」とある。数年前にここより北の赤城をうろついていた時の記憶が蘇った。
高野辺家成は、女渕城とはおそらく関係なさそうな5世紀頃、古墳時代にいたとかいないとかいう公家で、室町時代の『神道集』に彼の美しい3人の姫にまつわる伝承が残されている。三姉妹は継母に恨まれ、その弟に殺されてしまうのだ。一番上の淵名姫は利根川の倍屋ヶ淵なる場所に沈められたという。
伝承の中には今に残る地名も出てくるのだが、この淵の名は伝わっていない。ここも候補の一つでしかない。1600年前の利根川の流れなんかわからないが、1600年の間にいた多くの人々にしてもそれはそうなのだ。それらしき淵があったらそれらしく思い、話してみたらさらにそう思え、まして聞いた方は疑わないのだが、証拠もないから噓かもしれない。だから、本当かもしれない。
「見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部 でたらめだったら面白い」というのはザ・ブルーハーツ「情熱の薔薇」の歌詞だけれど、かつて人々は「でたらめだったら」とはろくに思わず、そのためにちゃんとでたらめが残った。今、誰もが「でたらめだったら面白い」と薄々思いながら暮らしているせいで、でたらめは危機に瀕している。時間を味方につけて育てようにも、まっとうに発展した人知が青田刈りしてしまうのだ。
とはいえ、それをはねのけるのもやはり継続、しかも人知れずの継続なのだろう。世間の目をかいくぐってうん10年後、群馬の用水路脇の道で大量の幼児人形が発見されて誰にもわからないなんてことだってあるかもしれない。まさかその時に私の書いたこの文章を差し出せる人間はいないだろう。でも、全然それでいいんだよな、と粕川駅までぶらぶら歩きながら思った。
写真/著者本人
乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞を受賞。ほか著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『パパイヤ・ママイヤ』『それは誠』などがある。