◇自著を語る◇ 夏川草介『新章 神様のカルテ』

◇自著を語る◇  夏川草介『新章  神様のカルテ』

「そろそろ出番かね?」

 十年が過ぎた。

 それが、本書を書き上げたときの最初の感慨であった。十年前『神様のカルテ』第一巻を上梓して以来、2巻、3巻、0巻の順に進んで、いつのまにやらずいぶんな月日を勘定したことになるのだが、実感としては淡い。旧友から改めて"作家デビュー十周年"などと言われると、いつも唐津や備前の粋な酒杯を並べていた店が、いきなりきらびやかなワイングラスで日本酒を出してきたときのような困惑と当惑を覚えてしまう。要するに、なんとなく落ち着かない。おそらく私は、自分が作家であるとは、あまり考えてこなかったのである。

 格別、作家業を忌避しているわけではない。このどこか浮世離れした職種に対する憧れもある。しかし、小説を書き上げたからといって、目の前の患者が元気になるわけではないし、救急車の台数が減るわけでもない。十年前と変わったことと言えば、長い付き合いの患者さんたちがずいぶん逝ったことと、少しばかり内視鏡の手際が良くなったことと、当直明けの片頭痛がひどくなったことくらいであろうか。外来、病棟、当直に往診に緊急内視鏡……。年中医師不足の地方病院が、笑えるくらいに多忙であることもまた十年前と同様で、「小生は作家である」などと胸を張ってみても、看護師からは呆れ顔で「急患ですよ」と返されるだけなのである。

 それでも執筆を続けているのは、いずれ世を騒がす大傑作を書き上げて、悠々自適の作家生活に入ることを夢見ているからでは決してない。いや、決してない、とは断言できないが、おおむねない。そういう妄想はあくまで酒の肴としておいて、奇妙な話であるが、医者というろくでもない仕事を正気を保って維持するために、執筆業がある種の精神的リハビリのような役割を果たしていることはどうやら確からしい。結局、医療現場で力の及ばなかったこと、やり残したのではないかと迷うことを、丁寧に描きなおそうという試みが、私にとっての『神様のカルテ』であるのかもしれない。

 多忙な現場で、どうしても掬いきれなかった患者の思いがある。もう少し何かできたのではないかと唇を噛むときがある。現場のあちこちに取り残してきたそういった暗い想念が、心の奥底の後悔という名の水甕の底にゆっくりと澱のように、泥のように沈殿していく。積もり積もった憂鬱な沈殿物が、やがて甕の口からあふれ出さんとしたとき、ふいに聞こえてくる声がある。

"そろそろ出番かね"

 内科医、栗原一止の声だ。言葉とともに、胸の内で栗原がのそりと立ち上がる。物語はいつもこうして始まるのである。

 本書『新章 神様のカルテ』の舞台は大学病院になる。市中病院で駆け回っていた栗原も九年目の医師となり、家族が増え、上司が替わり、後輩ができ、多くの変化に翻弄される。翻弄されながらも、しかし彼は変わらない。目まぐるしい変化の中でも変わらないものがあり、変わってはいけないものがある。そういう事実を、私自身が作品を書くことで思い出し、我が身の活力に変えていく。願わくば、本書が多くの読者にも、勇気と活力を与えてくれることを祈るばかりだ。

 自著の紹介を書くだけであるのに、どことなく愚痴めいてしまったのは、今日もまた正月早々から救急部の当直であるからで、日付も変わらんとする深夜の医局で、カップラーメンに湯を入れて三分たったところをまるで狙ったように、かすかな救急車のサイレンが聞こえてくる。足早に前の廊下を通りすぎて行った夜勤の看護師が、すぐに駆け戻ってきて扉の隙間からこちらを覗き込んだ。

 私と目が合って、先方がにこりと笑う。

 私はむやみに傲然と答えた。

「そろそろ出番かね?」

 うなずく看護師の向こうから、サイレンの音が近づいてくる。

 私は卓上の聴診器を手に取って、のそりと立ち上がるのである。

夏川草介(なつかわ・そうすけ)

一九七八年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。長野県にて地域医療に従事。二〇〇九年『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同書で一〇年本屋大賞第二位、映画化もされた。他の著著に『神様のカルテ2』『神様のカルテ3』『神様のカルテ0』『本を守ろうとする猫の話』がある。

書影
新章 神様のカルテ

〈「本の窓」2019年3・4月合併号掲載〉
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