ニホンゴ「再定義」 第13回「余暇」

ニホンゴ「再定義」第13回


 ところがそうはならないらしい。何故というに、「あれをやっておいたなら念のためこっちもやっといた方がいいよ」的な、副次的要件の依頼が発生する可能性を考慮して先回り対応しておくようなことを、延々とやってしまうのだ。たとえば、「ITアピールで対顧客サービスが拡大したから、その分いろいろ要求が増えるはず!」的な気遣いによる上乗せ対応などがこれに該当する。だがしかし実際には、せっかく対応した割には顧客がその機能を使ってくれないまま終わってしまい……といったケースが多かったり。そう、顧客サービスのバリエーションを拡大してもそれに応じた形で顧客が増えるわけでもないし、既存顧客がその会社のサービス機能を2倍3倍と使いこなしてくれるわけでもない。そのまま塩漬けになってしまうのだ。

 新しい家電製品で「なにやら複雑な便利機能がいっぱいついていても、わかりにくいからほっておかれる」状態に近いといえるかもしれない。

 この状況を明確化し、たとえば「過剰サービス競争はやめましょう」的なオピニオンを活性化させることで問題を軽減できる可能性はある。あくまで「可能性」の話だけど。

 では、なんとか余剰時間を生じさせたとして、それを余暇として有効活用できるか否か。真の問題はそこにある。日本でもワークライフバランスの向上を推進している企業の社員に話を聞いてみると、「子供がいる人は家族サービスのために、イベント絡みの趣味を持っている人はそっち系活動のために休暇を使うようになってきたけど、そういったとっかかりの無い人はねぇ……」という印象が強い。余暇活用への積極的動機を持ちにくい「とっかかりの無い人」が、おそらく問題のコア層として残る。

 そういった層が象徴する日本人勤労者の「休み下手」感については、自虐にしろ外部からの揶揄にしろ定番のジョークネタになるほど有名だ。「仕事を休んで1週間もすると、業務がどうなっているか、自分のお仕事記憶が薄れないか不安になってしまい思わずオフィスに戻りたくなる」というのはその代表的なモノだが、ここには長期的に職場や業務を離れることに対する理屈を超えた、本能的ともいえる不安がある。

 そう、つまり「長期間バカンス取得への執念」を前提とするドイツ的ワークライフバランス意識は、おそらく日本人的心理の奥底とあまり相性がよろしくない。日本人は旅行好きな一面を持つが、「バカンス」への憧れは実はそんなに深くないように感じる。無理に押し付けようとするとむしろ抵抗が生じるだろう。というか、いざ完全なる気分転換を図ると、実はもう二度と職場に戻りたくなくなってしまうのかもしれない。それは確かにまずかろう。

 しかし、生産性と関係なく漫然と仕事を続けるのがストレスバランス的に最も良いのだ、という結論もいささか侘しいものがある。

 なんとかならんのか。

若林 踏さん × まさきとしかさん(「ミステリの住人」第2回)◆ポッドキャスト【本の窓】
はらだ有彩『「烈女」の一生』