ニホンゴ「再定義」 第18回「上から目線」

ニホンゴ「再定義」第18回


 ちなみにこの件で興味深いのは、このアンチリベラル層が、キラキラ的意識高い感を嫌う一方で実際に自分たちを搾取するパワー権力層にはすんごく従順な点だ。問題アリアリなゲスい表現で「肉屋を礼賛する豚」というのがあるけど、まさにソレである。たとえばツイッター社がイーロン・マスクに買収され、意識高いキラキラ文化系な(とアンチリベラル層は認識していた)主要社員たちを軒並みクビにしたときの大喝采、あれである。俺たちのイーロン様が「上から目線」なクソお嬢様お坊ちゃまたちを地獄に叩き落してやったぜ!イェイ! という感じで。でもってその後のXの拝金主義的な実際のクソ変化ぶりはご存じのとおりだが、イーロン様に喝采を送った連中は、文句も言わず唯々諾々と搾取されているのである。「自分たちを搾取するヤツではなく、上から目線で目障りなヤツ」こそ敵! という思考原理がここに明確に窺える。ああジョージ・オーウェルさん、あんたはいろんな面でホントに深く見抜いていたよ。そして21世紀前半、若い世代の者たちは、なるべく「意識高い系な上から目線」なヤツだと見られないよう恒常的に努力するようになってしまった。それで時代的なサバイバビリティは向上するだろうが、そのままでよいのか。すごく微妙だ。

 だがしかし、さらに考えると、「上」たる立場の形骸化あるいは極小化という現象は、社会的価値観の好き嫌いや盛衰にとどまらない可能性がある。

 そもそも「上」な人物が有する真価とは実際のところ、何なのか?

 経験に裏打ちされた技能や知識……といった答えが来そうだが、技能や知識とは実はあくまで「材料」であり、価値そのものではない。真に価値と呼べるのは、それらの材料を使った「状況や構造や道理」の適切な説明能力ではないだろうか。

 そう考えると、社会や技術のやたらな複雑化・ブラックボックス化とともに、立場のある人でさえ自分が携わるモノゴトについて、「状況や構造や道理」をちゃんと説明できる余地が加速度的に小さくなっている、という気がする。たとえばIT関連知識についても、昔、パソコンを自作できる系の人は敬意の対象であり一種の権威性を有したが、今、スマホを自作できる人はそもそも存在しない。スマホに絡む権威性は、企業体の技術的な奥の院と資本の管理層が独占集約的に握っている、といってよい。

 すると、我々のような下々に出来るのはせいぜいライフハック的な「お便利裏ワザ」の開拓と紹介ぐらいであり、そこに真の知的技術的なリスペクトは発生しない。下手に偉そうに知識を振りかざせばそれこそ「上から目線」と言われてしまい、しかもそれに抗する根拠は、確かにどこにも存在しない。

「大辞泉」にある「上から目線」の定義は、技術集約による知的貧困がこの星を覆い尽くす悪夢世界についての、よく出来た予見なのかもしれない。

(第19回は8月31日公開予定です)


マライ・メントライン
翻訳者・通訳者・エッセイスト。ドイツ最北部の町キール出身。2度の留学を経て、2008年より日本在住。ドイツ放送局のプロデューサーも務めながらウェブでも情報発信と多方面に活躍。著書に『ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです』。

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