ニホンゴ「再定義」 第18回「上から目線」
本連載は、〝職業はドイツ人〟ことマライ・メントラインさんが、日常のなかで気になる言葉を収集する新感覚日本語エッセイです。
名詞「 上から目線 」
「上から目線」とは、「さして目上でもない人が、分不相応に示す偉そうな態度」のことだと認識していた。というか実際そうでしょ。上記定義について最も重要な箇所に下線を引けと言われたら、もう確実に「分不相応に」である。
が、しかし。この記事の本拠地でもある小学館が発行している国語辞典「大辞泉」には、以下の定義が述べられている。
【上から目線】
俗に、上の立場の者が下の者に対して示す言動。人に対して露骨に見下した態度を取ること。
ちょっと待ってほしい。これだと「分不相応に」の要素が完全に抜けており、立場の上下にかかわらず、強めに偉そうな態度を示したら即アウトということになるではないか。
それでいいのか? 上から目線ってそういうんだっけ? ちょっと変でしょ小学館!
……と思ったけど、ここはいったん踏みとどまり、敢えてこの文脈の正当性というものを考えたい。なぜなら、社会からそれなりに知的価値を認められている辞書の記述には、ある程度の蓋然性があるはずだからだ。
では、「目上であっても偉そうにしたらアウト」な文脈とは何か。
例えば、パワハラ的な暴力につながる「目上であることを笠に着た横暴」などが直接的にわかりやすい事例になりそうだ。つまり、立場の上下にかかわらず、みなフラットに相互尊重的に振る舞うべしという話なのか。小学校とかでみな等しく「さん付け」で呼び合いましょう、的な平等化テーゼを乱す日常的要因の一つとして、「上から目線」が再定義されている感じなのか?
理屈の連鎖で確かにそう言えなくもないだろうが、直観的には何かしっくりこない。この方向で考えるならば、本来的に「威圧的・攻撃的な振る舞いはやめよう」という主張だけで済むはずで、わざわざ上から目線というタームを持ち出す必要は無い。やはり「上から目線」には、構造的な一般化を前提とした揶揄・皮肉めいた要素が確実に潜在しており、それ抜きだと存在意義の説得力に欠けてしまう。駄目だ。困った。行き詰まった。何か前提の立て方で失敗したようだ。