ニホンゴ「再定義」 第18回「上から目線」
「上」であると同時に「分不相応」でもある、というシチュエーションとは何か。
たとえば、課長の器でないヤツが課長をやってるから地獄なんですよ、みたいなケースがすぐ思いつくが、それはあくまで会社の人事センスの問題であって、課長になった人間がなべて分不相応に無能化するわけではない。一般化の余地が乏しいケースは残念ながら却下だ。なのでたとえば、フランス革命やロシア革命で、一気に社会的ステイタスを失ったのに貴族たちがまだ命令口調でイキっているようなありさま、といえば妥当だろうか。しかし今の我々の生活空間でそんな状況は……あ、無くもない。
先日、友人(出版関係者)と「終わらぬトランピズムとは何か」について議論していた。トランピズムとは、本当はサメ映画に出たくてウズウズしていたアメリカの大富豪が有為転変の作用でなぜか大統領になってしまったことにより発生し、21世紀前半から世界中に蔓延した「オレ市場主義」的なイズムのことだが、その会話の中で友人が「マジョリティの感情的な軸は保守と言うよりもリベラルへの反感にある感じがします」と述べていた。それ自体はけっこう多くの人が共有している発想だろうけど、さすがプロだけあって雑談ながら絶妙に練られた言霊力があるというか印象に残り、いま、私の脳内で触媒作用が発生したのだ。
ここでいうリベラルとは、リベラル的思想というより「リベラル業界」のことだろう。それは21世紀中盤にさしかかろうとしている時期にて、私の肌感覚からみても確かに怨嗟の的になっている。さらに解像度を上げると、その怨嗟が向かう本丸は「1990年代、2000年代的なセンスを振りかざす左派リベラル系スタイタス言論界」という感じになる。彼らは21世紀に入って深化した日本社会の地盤沈下と、それに伴う情報消費者の保守化と精神的ギスギス感をまったく無視するかのように、というか逆撫でするかのようにキラキラ感あふれる意識高い系アピールを延々と繰り広げたがゆえに、巨大な呪いの対象となってしまった。彼らは実際に社会的ステイタスを有していて「偉い」のだが、同時にその言動に「分不相応」感を纏ってしまったのだ。
なるほど、これか。
「上たる者」による「上から目線」感、これなら納得可能だ。