ニホンゴ「再定義」 第1回「外タレ」
ちなみに明治期の突出した外国人についてドイツ以外に目を向けてみると、辛辣なユーモアと不滅の画力で一度見たら忘れられないフランス産のリアル漫画家ジョルジュ・ビゴーなんかは、ネタ度の高さ・知的感度の強さ・いかがわしさインチキくささを完全鼎立させた点で、お雇い外国人の領域を超えてきわめて「外タレ」度の高い逸材だ。別に日本から呼ばれたわけでもないのに勝手に来日したパッション感もポイント高い。まさにフランス流日本オタクの始祖であり原型ともいえるだろう。辛辣さと神経質の度が過ぎて後半生が侘しさの塊になってしまったのは残念至極だが、現代日本のネット民が彼に奉じた「日本初の有害漫画家」という、敬称だか蔑称だかよくわからない称号は的確すぎて素晴らしい。
こうしてみると、日本の文化領域で外国人が頭角を現すには何らかの面で知性とハッタリの相乗効果がハイレベルで求められる、というかその手の技を振りかざしたほうが効果的らしいことが窺える。
二〇〇〇年代中ごろから日本に定住しはじめた私は、そんなふうに模様眺め・ガイジン市場眺めをしていた。ネットはあっても今ほどSNSが発達しておらず、人物の知名度を高める最高に効果的な方法がまだテレビだったその頃は、バブル期の外タレ文化の余波がまだ世間の空気に残っていた。在日外国人カーストのトップが「著名外タレ」だったともいえる。
私も外タレ事務所に登録して再現ドラマのチョイ役とか、要するに外タレ底辺としていろいろやってみた。流動的ビジネスの常として、後発組に美味しい果実が残っているはずもない。作業環境はけっこう過酷で、ソフト奴隷労働といっていいかもしれないのだけど現場のスタッフたちはけっこういい人だったりして、とはいえ彼らは彼らで境遇はかなり悲惨であり、結果的に「奴隷が奴隷を使役する」システムが当たり障りなく上手く成立しているのが凄いと思った。まさに日本スゴイの皮肉な実感。いま思うに、このあたりで日本のテレビ番組制作はかなり深刻な根腐れを起こしていたのだろう。
そして時が経ち、日本にお金が無くなるにつれて。
一部の「大物」外タレだけが知名度とステータスを維持しながら立ち位置を文化人・ビジネスマン的なポジションに移行させ、私が属していた奴隷階級はそのままで、いわゆる中堅クラスの人たちを目にしなくなった感がある。これはアマゾン等ネット通販やショッピングモール隆盛の陰で商店街や小売店が追い詰められて消えてゆく流れと何かシンクロする感があって印象深い。また、大物外タレの中でも、ダジャレを連発しながら焼きそばのCMでヤカンを被って「ケトラー」と名乗ったり「実は埼玉県出身だろ」とツッコまれたりと最もいかがわしさ大爆発だったデーブ・スペクター氏が、結果的に外タレのみならず最強の「外国人論客」としてネット&お茶の間に君臨するに至った展開も興味深い。彼はビジネスマンとしても優秀であり、手札をどう切れば「外タレが外タレ以上のものになる」のかの良い見本でもあるが、真似すれば成功につながるわけでもない。もともと外タレとしてメジャーになることが目的だった系の人は決してこのようにはなれない。包括的な才能とはそういうものだ。
テレビの外タレ系番組も変質と劣化を繰り返し、二〇二〇年代初頭現在、最も主流なのは「日本スゴイ系」と呼ばれる、たとえば百円ショップの台所用品とかの使い勝手の素晴らしさに、在日外国人の故郷(フランスとかイギリスとかは絶対出てこない)のお母さんが大感激するタイプのモキュメンタリーで、よくよく見るとその台所用品が実はメイドインチャイナだったりするのがポイントだ。番組制作者の意図を超えた真のスゴさと泣きどころは、実はそこだったりする。ちなみにモキュメンタリーとは「偽ドキュメンタリー」のソフトな表現であり、日本でいうところの「惻隠の情」と多少関係があるワードだ。