辛酸なめ子「お金入門」 4.ビットコインの遠い日の思い出
2024年、ビットコインの価格は1000万円(1BTCあたり)を突破。2009年に流通開始し、乱高下しながらも上昇しています。元祖・暗号資産(仮想通貨)ともいうべきビットコインは、2008年にサトシ・ナカモト氏によって開発されました。日本人名ですが、表に出てきたことがなく、国籍は不明。これまでも何人もの候補が取り沙汰され、すでに死亡説も流れています。先日HBOのドキュメンタリー番組「Money Electric: The Bitcoin Mystery」で何人かのサトシ・ナカモト候補が取り上げられていましたが、まだ決定打にはなっていないようです。もし本人が生きていたら、サトシ・ナカモト名義のウォレット(電子マネーや暗号資産を管理するシステム)に、約624億ドル(約9兆2600億円)ぶんものビットコインが保有されているので、身に危険が及ぶ恐れがあります。いっぽうで、サトシ・ナカモトのものと推測されている放置されたままの別のウォレットに、数ヶ月前に少し動きがあり、もしかしたら生存しているというメッセージだったのかもしれません。
ビットコインはスタート時は価値がほぼゼロだったことを思うと、1000万倍以上にもなったことに驚かされます。2009年10月に初めて値段がついた時には、1BTCは約0.07円。2010年5月にはプログラマーがピザ2枚を1万BTCで購入したという逸話があります。今のBTCレートで換算すると1枚500億円のピザになります。2010年には世界初のビットコイン取引所「マウントゴックス(Mt.Gox)」がサービスを開始し、1BTCは約7円に。まだまだ安いです。そしてこの「マウントゴックス」という社名、記憶にある人も多いかもしれません。
暗号資産への注目が高まり、ビットコインの価格は徐々に上がっていきます。2011年3月には約70円、2012年11月には約1000円になりました。2013年には、中国の検索サイトがビットコインを採用し、そのあと中国人民銀行などが取引を禁止したことで価格が上下。2013年12月には一時約12万円の値を付けますが、2014年には下落して、2014年2月には約1万8000円になってしまいます。その要因が、日本に本社があったマウントゴックスがハッキングされて、85万BTC(当時のレートで約480億円相当)が盗まれ、取引所が経営破綻したという事件。CEOのマルク・カルプレス氏のたどたどしい日本語の謝罪会見がニュースで流れたのが記憶に残っています。当時20代だったカルプレス氏は、あれから10年経って、新たな取引所を経営しているようで、懲りていないというか、メンタルが強いみたいで何よりです。
そしてその頃、私もはじめてのビットコインを入手しました。マウントゴックスの破綻は残念ですが、ちょっと下がったタイミングなので良いかもしれないと、ビビッときた感じです。調べたら渋谷のカフェで「東京ビットコイン勉強会」という集まりが行われていることを知り、全く知り合いもいない中、単独で参加したのが約10年前、2014年3月頃のことでした。
会場のカフェに行くと、幹事の日本人男性が「集まる人のレベルがそれぞれ違うので全体で論議するとかはありません。エンジニア、デベロッパーなどテーブルごとに集まって話しています」と、説明。趣味の集いのようなユルい空気が漂っています。女性が少なく、8割はギークというかIT系オーラが漂う欧米人男性と、あとは意識が高そうな日本人男性が何人か参加していました。「あそこは、マウントゴックスでビットコインがなくなった人のテーブル」と言われてみると、寒いのに薄着の欧米人男性たちが数人、深刻な表情で話していました。そこで白人男性に声をかけて、逆ナン……ではなく、ビットコインを売ってもらいたいと持ちかけました。1000円札を出して、その場でウォレットをC社のウェブ上で作って、当時のレートで0.016BTCぶんを送金してもらいました。その頃は1ドルも約100円でした……(遠い目)。こんな簡単に暗号資産のやりとりができるのか、というのが新鮮な驚きでした。それでも、ウォレットを作ったC社はアメリカでは最大手で、ハッキングされにくいことで有名で、セキュリティは万全だそうで安心でした。また、このときに参加者に聞いたら、ビットコインを投資目的で持っている人はほとんどいないそうで、新しもの好きにとっておもちゃみたいなものだったのだと思います。今は本気で儲けたい人が参入していると思いますが、初期はもっと気楽な雰囲気だったのでしょう。
2014年にビットコインデビューして、以来、自分のビットコインの値動きを見守ったり、C社から最初の頃に届いていたメルマガなどをチェックしたりして、最先端気分を味わいました。アメリカの会社でウォレットを作ってしまったため、日本ではすぐ引き出して使えないので、観賞用のお金です。観葉植物みたいな「観葉資金」というジャンルがあっても良さそうです。
C社からのメルマガも景気の良さが漂っていました。「ビットコイン販売額150万ドルを突破した記念に幸運な1名様にロンドンへの旅行をプレゼント」というキャンペーンや、「チームに素晴らしい4人のメンバーが加わりました。ハーバード大学で経済学の学位を取得したリチャード、Visaの戦略開発部門で働いていたロジャー、海兵隊員でもあり諜報活動に従事してFBI長官賞を受賞したジョン、シリコンバレーで12年のキャリアがあるアンディ」といった社員の紹介も。すごい頭脳とキャリアの持ち主が暗号資産業界に集まっていたようです。
1000円で買ったビットコインは、そのあとしばらく停滞し、少し上がったと思ったら2018年にビットコインバブルが崩壊して急落したり、2020年にはまた回復したり、乱高下が激しかったです。C社は2021年にナスダックに上場、その頃には1BTCが700万円近くになっていました。2022年には様々な要因が重なって急落し、暗号資産に冬の時代が訪れます。2023年に、アメリカの複数の銀行が破綻したことで、逆に暗号資産に望みを託す人が増えて、ビットコインの価値が上昇。銀行よりも暗号資産の取引所が信用できる、と考える人が増えたのでしょうか。そして2024年に入り、ついに1BTCが1000万円超えして、増減はありましたが、2024年10月現在は1033万円をつけています。2010年頃に買った人は、途方もなく儲かっていそうです。ただ日本では税金が高くて、利益が20万円以上になった暗号資産の税率は最大45%。しばらく観賞用にしておいた方が良さそうです。
1000円だった私のビットコインはいくらになっているか、久しぶりにウェブ上のウォレットにアクセスしてみました。すると……スマホに暗記させていたIDとパスワードをそのまま入れてもアカウントにアクセスできません。パスワードを発行しなおそうとして、登録しているメールアドレスに認証コードを送信してみました。何時間経っても届きません。おかしいです。アカウント自体消えてしまったのでしょうか?
C社のサポートセンターはほとんど機能していないことで有名です。検索して、なんとか問い合わせのフォームを見つけて、翻訳サイトを使って状況を記入し、送信してみました。アカウントがなくなってしまったようで、ハッキングされてしまったのかもしれないので、確認お願いします、と……。すると、しばらくして以下のようなメールが届きました。
「これはお客様が期待していたことではないかもしれませんが……」という出だしに悪い予感がします。「要件を満たさなくなったアカウントへのすべてのサービスは中止されました」と、すぐには理解できない文面が続きました。さらに、信じられないような内容が。「お持ちだったアカウントは、お客様がC社の Kenya Ascending Markets, Ltd. でアカウントを開設したためであり、そのあとこの会社は閉鎖されました。アカウントを外部ウォレットに移管するように、メールで複数回連絡を試みましたが、お客様からの返答がなかったため、お客様のアカウントは当社の関連会社である Crypto Services, Inc. に移管されました。そしてお客様のアカウントの暗号資産は清算されました」
今までずっとウォレットを眺めているだけで、ケニアのなんとか会社に資金を移したこともないし、そもそもC社からのメールもここ何年も受信していません。どういうことなのでしょう。有無を言わさず、知らない間に全ビットコインが精算されてしまいました。メールは「資産を取り戻すには、手順に従って、ワイオミング州の未請求財産局に直接連絡する必要があります」としめくくられていました。私のビットコインは全額、インターネットの虚空に吸い込まれて、遠いワイオミング州にまで行ってしまったようです。このスパムのような文面が、最大手の暗号資産取引所から送られてきたものとは、にわかに信じがたいです。頭の良い社員たち、メルマガに出てきたリチャードやロジャーたちがこの事態に関わっているのでしょうか?
今回のメールに出てきた単語で、Reddit(アメリカの掲示板)などを検索すると、全く同じ文面が送られてきて、アカウントが消された人たちが「悪夢のようだ」「資金が引き出せない」と怒っていました。私の所有していたビットコインは、今のレートだと約16万5000円。もとは1000円ですが、やっとここまで育ったという思いでした。それが、取引所の都合で0になるとは。細かく読み込んだら、規約にいろいろ書かれていたのかもしれません。取引所は勝手に規約をかえたりお金を移動させたりするリスクがあるので、やはり銀行の方が信用できます。
そして、英語も苦手でアメリカ国外に住んでいる私が、ワイオミング州の未請求財産局とやりとりするのはほぼ不可能です。旅費も調べてみたら片道航空券が十数万円で、現地に乗り込んだらマイナスになってしまいます。こんなときは、国際弁護士……小室さん! と、思わず心の中で小室さんに助けを求めてしまいました。もう、現金しか信じられません。ビットコインには、短い間でしたが、夢を見させてもらいました。それが悪夢になるとは想像していませんでしたが……。
暗号資産にはまだ危うさがあるので、投資するときは余っているお金で趣味程度に行うのがおすすめです。
(次回は12月24日に公開予定です)
1974年東京都千代田区生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部卒業。漫画家、コラムニスト、小説家。著書に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『女子校礼讃』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『大人のマナー術』『煩悩ディスタンス』などがある。
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