上田秀人『新陰の大河 上泉信綱伝』

上田秀人『新陰の大河 上泉信綱伝』

作品についての想い


 ずいぶんと昔、デビューして間もないころ、とある編集者兼作家から「おまえの作品には中身がない。読み終わってもなにも残らない」と言われたことがあった。

 それでショックでも受ければかわいげもあったろうが、まったく堪えなかった。というのも、私は最初からそのつもりで書いていたからである。

 人生経験も誇れるほどでなく、人に誇れるほどの事績をなしたわけでもない。こんな人間が作品で読者さまに影響を与えたいなど、おこがましいにもほどがある。

 ただ買っていただき、二時間と少し楽しんでもらい、読後は捨ててくださればいい。

 そう想って書き続けてきた。おかげで二十七年目を迎え、著作も二百を超えた。

 一応、私の作品にも「継承」というテーマがある。どこにそれがあると言われそうだが、今作品『新陰の大河』にも師から弟子への継承、そしてその変化を組み入れている(まだ初巻なので変化は目だっていないが)。この後も続けさせてもらえるならば、師からの学びを弟子たちはどう理解し、昇華させようとしたのかを綴っていくつもりである。

 さて、最初と言うことが違うじゃないかと言われそうだが、変わってはいない。私は決して読者さまに「こう読んでください」と望むつもりはない。

 すべての作品がそうだが、私のテーマである継承は、自戒なのだ。

 ご存じの方も多いだろうが、私は作家になる前、歯科医師であった。母が開業医、兄が勤務医という家に育ちながら、勉強が嫌いで医学部に通るだけの努力をしなかった。結果、母が六十年以上やってきた想いの籠もった診療所を継ぐことができなかった。

「おまえを恨む」。診療所を閉める日、母は私にそう恨み言をぶつけた。

 ああ、母の人生を無にしたのだなと知り、継承というものの大事さと怖ろしさを経験した。

 そして私も二十七年やってきた歯科医院を継ぐ者なく閉じた。同じ歯科医師の道を選んだ長男は研究職を選び、コンピューターにはまった次男は別の道を進んだ。

 まさに因果応報である。もちろん、子供に強制する気はないが、継ぐ者がいないというさみしさは別物であった。

 だからこそ、私はこれからも自戒をこめて物語を紡ぐ。

 


上田秀人(うえだ・ひでと)
1959年、大阪府生まれ。大阪歯科大学卒業。97年、「身代わり吉右衛門」で第20回小説CLUB新人賞佳作を受賞。2001年、『竜門の衛』でデビュー。10年、『孤闘 立花宗茂』で第16回中山義秀文学賞を受賞。「奥右筆秘帳」シリーズは、09年「この文庫書き下ろし時代小説がすごい!」、14年「この時代小説がすごい!」で、文庫シリーズ第1位を獲得。さらに第3回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞も受賞。22年、「百万石の留守居役」シリーズで第7回吉川英治文庫賞を受賞。

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著/上田秀人

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