武塙麻衣子「一角通り商店街のこと」2. 鶴亀湯
これはなかなか癖になるかもしれないな。雄士は火照った顔のまま、大きな扇風機の前で両腕をばたばたと動かした。
「牛乳飲めるんだったら、風呂の後はコーヒー牛乳がおすすめです」
修太がそう言っていたのを思い出し、自動販売機でコーヒー牛乳を買った。
「あ、美味し」
マッサージチェアに座っていた老人が、雄士を見て大きな口をにかっと開けて笑った。
「生き返るでしょ」
「はい」
脱衣所の戸ががらりと開き、かぽーんと響く音に吸い込まれるように中年の男性がまた一人洗い場へ向かった。湯けむりの向こうに一面桃色の壁が見える。
「こちらの壁の絵は富士山じゃないんですね」
マッサージチェアのスイッチを入れた老人に話しかけた。
「ここっのは、さ、桜、吹雪、の絵っ。この近っくの公園のっ桜が、も、もとなんだよっ」
老人の声は、マッサージの振動で聞き取りにくく、本人もうまく喋れた気がしなかったのか、笑いながら身体を起こして、
「桜!」
と大きな声でもう一度言った。はい、と頷きながら、雄士も笑い、コーヒー牛乳を飲み干す。熱さの違う二つの大きな浴槽も「五月五日は菖蒲湯!」という手書きのポスターが貼られた脱衣所も、すべて掃除が行き届いていてとても気持ちが良かった。鏡もぴかぴかに磨き上げられている。そういえば、ここはどうして鶴亀湯っていうんだろう。
「鶴とか亀は縁起がいいからかな」
明後日のたこ焼きパーティーの時にユンくんにもここのことを教えてあげようと思いながら、雄士は下駄箱からサンダルを取りだした。
帰り道、文房具店の軒先に並んでいた絵はがきに、雄士は思わず足をとめた。熊が三匹でかき氷を頬張っている気の早い絵が描かれている。
「夏、帰るのにその前に暑中見舞い送るって変かな。ていうか暑中見舞いっていつからなんだ」
また独り言を言っている。気づいたが、開き直って雄士は続けた。
「暑中お見舞い申し上げますって書かなければいっか」
帰宅してまずは窓を開ける。このところの雄士の癖だ。夕方のさっぱりとした風が部屋を吹き抜けていくのが気持ちいい。電気をつけないまま椅子に腰かけ、足下のリュックサックからペンケースとさっき買ってきたばかりの絵はがきを取りだした。
「おばあちゃんへ。お元気ですか、と」
誰かに手紙を書くなんて、小学校での授業や年賀状を除いたら初めてかもしれない。なんだか自分の字が丸っこく見えて、少し嫌だ。
「今日、近所の銭湯に初めて行きました。なかなか気持ちよかったです。壁の大きな絵は、富士山じゃなくて桜の絵でした。夏に帰ったら、そっちでも銭湯を探してみようかな。僕は元気にしているので心配しないでください。身体に気をつけて」
こうして書いてみると、はがきというのは、意外と書くところが少ないものだ。安いし、これならそんなに気張らず、これからちょくちょく祖母にはがきを送ってみるのもいいかもしれない。雄士は、書き終えたはがきをファイルにはさんでリュックサックへ戻すと、豊倉惣菜店のハムカツを温め直すべく立ち上がった。明日は、まず郵便局へ行こう。それからたこ焼きの面白くて美味しい中身について商店街でリサーチしなければならない。
(次回は12月31日に公開予定です)
1980年神奈川県生まれ。『諸般の事情』『驟雨とビール』などのZINEを発表後、2024年『酒場の君』(書肆侃侃房)で商業出版デビュー。
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