ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第121回

「ハクマン」第121回
悲報なのか吉報なのか。
何事も受け取り手次第な
ところがある。

今年もあと1か月を切った。

1か月を切ったぐらいならさすがに言ってもいいし、まだ9月ぐらいだと思っている奴がいたら進んで教えてやった方がいいと思うが、世の中には「今年あと3か月!」などと、聞いてもないのに残り時間をカウントして人を焦らせようとする「時報係」が存在する。

もしかしたら奴らは現代版黙示録のラッパ吹きで我々に災厄の訪れを宣告しにきてくれているのかもしれない。
確かに「悲報!血の混じった雹と火が地上に降り注ぎ、地上の三分の一と木々の三分の一と、すべての青草が焼けてしまう!」というお報せなら、事前に教えてもらった方が若干ありがたいが「悲報!今年あと3か月」というのはただの事実にしか過ぎず、むしろ悲報として伝えられたことにより、こっちもそれが悲しいことのように感じてしまうのだ。

しかも本来のラッパ吹きは7人なのだが、現代版は1月が終了した時点で「悲報!今年もう1か月終了!」とお報せにくるので少なくとも12人はいる。
さらに11月下旬ごろ「今年はもう5週間しかない!」と、単位を変えて新鮮に俺たちを焦らせようとする奴を観測したので、もはや365人はいると思った方がいいだろう。

だが、なぜこうも時報係が出没するかというと「うぜえ」と一蹴したり、私のように「1年何も成し遂げなかった俺と、1年の残りを数えるしかやることがなかったお前、いい酒が飲めそうじゃないか」と嫌味に嫌味で返す連中だけではなく、「それって今年がもう3か月しか残ってないって…コト!?」とハチワレのように素直な反応を示してくれる者が一定数以上いるからやめられないのだろう。

そもそも、我々は1年の4分の1以上を労働またはに学業などに費やすのが多数派というマゾヒズム生物である。
根本的に人々は「焦燥するのが好き」であり、時報係は「何でもいいから焦りてえ!」という需要に対し「今年もあと1か月しかないよ…ほらもう…師がこんなに走ってるじゃないか…」と本当に何でもいいから答えている供給に過ぎないのかもしれない。

 

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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