椹野道流の英国つれづれ 第27回
◆ジーンとジャック、「我が家」に驚嘆する #7
幽霊(推定)が、家の中に入ってきているのではないか。
そんな恐ろしい推理を繰り出してきたとんでもない教師ボブは、「だって、君、元気じゃないか。何も悪さをされてないんだから、そんな幽霊、怖がる必要はないだろ」と実にライトに言い放ち、個人レッスンのフリートーク時間を締め括りました。
いや、他人事だと思ってあんた!
確かにボブに言われるまで、「幽霊に侵入されている」なんて可能性を考えもしなかった私です。
何もされていないどころか、気配すら感じられなかったということになります。
そう、大胆に言いきってしまえば、こういうことです。
「いてもいなくても同じ」
いや、でもねえ! こういうのは気持ちの問題では?
ボブは、「僕の生徒んちに幽霊が出るらしいよ」って、同僚と楽しくお喋りが弾むかもしれませんが、幽霊が入り浸っているかもしれない家に、ひとりで帰る私の立場は?
たとえ幽霊が何もしてこないとしても、やっぱり怖い!
生身だろうが幽霊だろうが、一人暮らしの家の中に赤の他人がいる。そう考えただけでも怖いです。
今すぐ引っ越したい!
でも、それは経済的に不可能なので、置かれた場所で咲き……もとい、耐えるしかありません。
夕方、授業を終えた私は、学校近くのグロサリーに立ち寄りました。
日本ではコンビニエンスストアに駆逐されてすっかり少なくなってしまった街の小さな雑貨店が、当時のブライトンではまだ健在でした。
スーパーマーケットには太刀打ちできないまでも、ちょっとしたデリとベーカリーコーナーがあり、保存食、文房具、お菓子、新聞、煙草、飲み物、生活雑貨が手に入り、郵便も出せる。
まさに、「何でも屋さん」の趣です。
小包用のぺらっとした茶色いテープをレジに持っていくと、この店を経営する初老のインド人夫婦の奥さんのほうが、旧式のレジを打ちながらいつものように話しかけてきました。
「学校はどう? 今日は何を学んだの?」
「今日は……幽霊の話をしました」
そう答えてみると、彼女は細く整えられた黒い眉をギュッとひそめました。
「まあ、学校でそんな話を? イギリス人は、本当に幽霊が好きね。くだらない! よくないわよ!」
どうやら彼女にとっては、あまり好ましい話題ではないようです。
「インドには幽霊はいないの?」
そう訊ねてみたら、彼女は大袈裟に肩を竦め、私が差し出したお金を受け取りながら答えました。
「いると言う人もいるけれど、私は信じないわ。見たことがないもの。見えないものは、存在しないのと同じ。それより、せっかく学校に通っているんだから、もっとあなたの人生に役に立つ授業をさせなさい!」
そうでした。ここの夫婦はとても生真面目で、厳格なのです。
私が覚えたてのチョイ悪なスラングを使ったりすると、本気でガミガミと叱ってくれる人たちなので、「授業で先生が幽霊なんて馬鹿馬鹿しい話をした」ことも、どうやら許されざる愚行のようです。
明日はもっと真面目にやりますと約束して、私は這々の体で店を出ました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。