椹野道流の英国つれづれ 第27回

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いやだー!!

私は理解しました。

何もわからないのが、たぶん、いちばん怖い。

防衛は最大の攻撃とも言うけれど、見えない、感じられない相手に対して何も守りようがないので、こうなったら、こちらから打って出るほうがまだマシなのでは……?

暖炉と、燭台の蝋燭だけが照らす薄暗い部屋の中で、私はゴクリと生唾を呑み、カスカスの声を絞り出しました。

「ここに、この部屋にいるの?」

〝Are you here? I mean in this room?〟

質問を発して、すぐに気づきました。

返答があってもなくても怖い! 怖さのベクトルが少しばかり違うだけだと。

そして、返事はありませんでした。少なくとも、答える声はなく、物音も聞こえません。

でも、答えがないことは、幽霊が部屋の中にいないという証明にはならないのです。

もう、どうしろっていうんだい!

私は、半ばやけっぱちになって、よせばいいのにもう一言、追加しました。

「いるなら、教えて」

〝Tell or show me something if you are here〟

ずいぶん、思いきったことを言ったものです。若い頃の私は、少なくとも今よりずっと勇敢でした。

しかし、やはり答えはなく。

幽霊なんて、いなかったんだ。もう、ボブの奴め!

明日の個人レッスンで、うんと文句を言っ……。

安堵しかかった私の目の前で、燭台に3本灯してあった蝋燭の、真ん中の1本の火が、突然消えました。

風なんか、少しも吹いていないのに。

蝋燭自体も芯も、十分な長さがあるのに。

えっ……? どうして?

瞬きすら忘れて燭台を凝視していると、今度は向かって右端の蝋燭の炎が、大きく揺らめきました。

それはまるで、誰かが息を吹きかけているような……。

次は、向かって左端の蝋燭の炎が同じように、ゆらり、ゆらりと。

あかん。これは、あかん。ガチなやつや。

何かがいる。この部屋の中に。燭台のすぐ向こうに。

もはや、語彙は死んでいました。

そして、本当に怖いとき、人は悲鳴を上げるどころか、まともに声を出すことすらできなくなるのです。

カタカタ小刻みに震えながら、私がどうにかこうにか吐息に乗せることができたのは、

「わかった」

〝I see〟

の一言だけでした。

幸いにも、それは「誰か」にとって、納得のいく言葉だったようです。

怪現象は、それきり止まりました。

炎は一度も揺らめくことなく燃え続け、暖炉の火は穏やかに爆ぜ、相変わらず、私には誰の気配も感じられず……。

いつもように、夜は静かに更けていきました。

ただ、私が一睡もできなかっただけで!


「椹野道流の英国つれづれ」アーカイヴ

椹野道流(ふしの・みちる)

兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。

山森めぐみ「開運ごほうび参道ごはん」
◎編集者コラム◎ 『絞め殺しの樹』河﨑秋子