椹野道流の英国つれづれ 第24回

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◆ジーンとジャック、「我が家」に驚嘆する #4

この家には、電気が通っていない。

そんな突飛な事実を告げると、ジーンとジャックは仲良く絶句し、ただ私の顔を凝視しました。

信じられない。

お前は何を言っているんだ。

そんな思いは、2人の視線から伝わってきましたが、引き結ばれた口からは、何の言葉も飛び出しませんでした。

困惑と、驚きと、おそらくはちょっとした怒りに似た感情が、彼らから放たれていたように思います。

かたや私からは、「だって仕方ないじゃない、お金がないんだから」という言い訳をしたい気持ちと、わざわざ来てくれたふたりを驚かせてしまって申し訳ない気持ちが、きっと弱々しく出ていたと思います。

そうした思いが、埃っぽい、薄暗い室内(昔の建物なので、窓が小さいのです)で絡み合い、混ざり合って、音もなくもやもやと広がっていく……そんな感じでした。

沈黙はずいぶん長かったように感じられましたが、本当は、十数秒くらいのことだったのかもしれません。

「戦場の前線基地にだって、電気はあったぞ。おい、誰か、発電機を持ってこい! ってな」

それが、ジャックの第一声でした。

口調は呆れ返った感じでしたが、腫れぼったい瞼の下の青い瞳には好奇心が煌めき、大きな口には笑みが浮かんでいました。

どうやらジャックは、この風変わりな家がわりと気に入ったようです。

でも、ジーンはそうではありませんでした。

眉間に縦皺を刻んだまま、彼女はツケツケと……出会ってから初めてのきつい口調で、私を問い詰めました。

「電気が来ていないって、どういうこと?」

私は、担任教師に叱られた小学生のように、突っ立ってもじもじと答えます。

「前は来てたんだって。だけど、前の、前の住人のときに、……ええと、ショート・サーキット? があって、火事が」

不動産業者から教わった、漏電を意味する言葉を口にすると、ジーンはこめかみに片手を当てて嘆息しました。

「古い建物で漏電は珍しくないわ。だけど、その後、修理されなかったの?」

「直したけど、前の住人のときにまた、あって。それで、危ないからもう直さないことに決めたんだって。下の工場には来てるんだけど、私の部屋には、電気はないの」

「なんてことかしら。もうすぐ21世紀になるっていうのに、家に電気が通っていないなんて!」

小さく首を横に振って、ジーンは嘆きました。でもすぐに彼女は、私に視線を戻しました。

「灯りは蝋燭を使っているとして、お料理はどうしているの?」

私は、暖炉を指さしました。

「お店でジャガイモとかパンを買ってきて、アルミホイルに包んで、暖炉に」

「シャワーは?」

「夏になったら、水でいいかなって思うけど、今はちょっと寒いから、暖炉でお湯を作って、顔や手足を洗ったり、身体を拭いたり」

「まるでキャンプじゃないの」

「だいたいそんな感じ」

私たちのやり取りを聞いて、ジャックはクスクス笑いました。


「椹野道流の英国つれづれ」アーカイヴ

椹野道流(ふしの・みちる)

兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。

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