高橋尚子『葬られた本の守り人』
本への攻撃は〝カナリア〟を死に追いやる
人は、自分の知っている言葉でしか考えることができない。
主人公のひとりであるアルシアが、「本への攻撃(中略)は〝炭鉱におけるカナリアの死〟を意味するのです」と言ったとき、どこかで聞いたことのある冒頭の文言を思い出しました。カナリアは有毒ガスに人間よりも敏感に反応することから、炭鉱夫たちはかつて、危険を検知する手段としてカナリアを連れて坑道に入ったそうです。つまり〝カナリアの死〟とは、危険の前兆を意味します。
本はたくさんの言葉を抱えています。言葉が組み合わさり、文が連なり、思想や意見、事実や物語が綴られます。人は本を読むことで、より深く、多角的に、多面的に考えることができるようになるのでしょう。しかし同時に、思考の範囲が右に左に、斜めに、歪に変化することも避けられないのかもしれません。読む本が私たちの思考に影響するのだと考えると、どのような本を読むかという〝選択〟が、これまで以上に意味のある行為に思えてきます。このことだけでも、本作品の題材として用いられた史実、ナチスによる焚書や、権力者による検閲・発禁がいかに恐ろしいものであるかがわかります。
この作品には、本を愛し、本の力を信じ、本を守るために戦う3人の女性が主人公として登場します。物語の世界を安住の地とし、そこに隠遁するように生きてきた米人作家アルシアは、賓客として招かれたベルリンで、本の魅力を再確認するだけでなく、その魔力をも身をもって知ることになります。ナチスに迫害され故郷を追われたユダヤ人ハンナは、本に残された同胞の〝知〟を絶やさぬため、自分たちの存在を、生きた証を示すものとしての本を守るため、異国の地パリで小さな抵抗を続けます。米人女性ヴィヴは、戦争未亡人となりながらも、戦地にいる兵士たちの生きる希望となっている 〝兵隊文庫〟を検閲の危機から守ることに力を尽くします。
魅力的なのは主人公たちだけはありません。ハンナの弟で、反骨精神と革命を求める魂の持ち主でありながら、〝子犬のような目〟をした人たらしのアダム。ハンナの幼馴染で、〝バイロンの詩を体現したような〟美青年オットー。アルシアに〝本当のベルリン〟を見せる奔放な女優デヴロー。ヴィヴの亡き夫であり世界一の親友であったエドワード。ヴィヴの初恋相手であり、エドワードの義母兄ヘイル。物語が進むにつれ、正義と信念、保守のあいだで揺れる彼らを愛おしく思わずにはいられなくなります。
学びのある歴史小説としてだけでなく、ロマンス小説としての面白さもあります。読みながら、胸や腹に蝶が舞うような感覚にとらわれる場面がいくつもあるでしょう。愛憎劇、暴力もあります。悪役の存在、グランド・フィナーレなど、人が物語に求める要素がほかにもちりばめられています。
著者が願ったように、本作品を手に取ってくださるみなさんが「百万もの違った感情でしか表現することのできない」思いに駆られることを願って——
高橋尚子(たかはし・なおこ)
1983年石川県生まれ。北海道出身。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。訳書に、E・バーンズ『きれいなもの、美しいもの』、H・ハンシッカー『名もなき西の地で』(以上、DHC『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2012』収録)、C・マッキントッシュ『その手を離すのは、私』『ホステージ 人質』、D・セッターフィールド『テムズ川の娘』(以上、小学館文庫)などがある。
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『葬られた本の守り人』
著/ブリアンナ・ラバスキス 訳/高橋尚子