吉川トリコ「じぶんごととする」 14. 太陽と極北風

じぶんごととする 14 太陽と極北風

作家・吉川トリコさんが自身の座標を定めてきた、あるいはこれから定めようとするために読んだ本を紹介するエッセイです。


「これから定期的に訊きますからね、いま何枚?って」
 と担当(か)氏は言った。

 編集者が作家に「いま何枚?」と訊くものといえば原稿の枚数をおいてほかにないと思われそうだが、(か)氏が訊いているのは皿の枚数である。まさか編集者から、原稿ではなく自宅の皿の枚数を訊かれるようになるなんて、二十年も作家をやっているといろんなことが起きるものである。他人の家の皿の枚数を気にする人間なんて、「皿屋敷」のお菊か、(か)氏くらいのものだろう。

 新居に引っ越したばかりでちっとも片づかない、となにかの拍子に LINE で(か)氏に漏らしたのがすべてのはじまりだった。

「私、シンデレラフィットの心得があります!」
 という(か)氏の一言にそそのかされ、ガラスの靴を差し出されたシンデレラにでもなった気分で散らかった自宅の状況を写真に撮って送っていたら、「これ、『じぶんごと』のネタにできますね?」と(か)氏が言い出したのであった。

じぶんごととする 14 ビフォー

 自分には関係ないものだとあきらめていた。美しくシンデレラフィットした収納、そんなものとは無縁の人生だと——。

 

 というのがそのとき考えた出だしだったのだが、引っ越して三ヶ月経った現在も、あいかわらずシンデレラフィットとは無縁の人生を送っている。

 シンデレラフィットの心得があるとか言っておきながら、(か)氏がシンデレラフィッティングしにきてくれることもなく(酒瓶を担いで遊びにはきた)、一時は整理収納アドバイザーまで呼んでそのレポートを書いたらどうかと鼻息も荒く提案してきたくせにいつのまにかその話も立ち消えとなり、どういうわけか「片づけ」をテーマにエッセイを書くミッションだけが残された。シンデレラフィット詐欺に遭ったも同然である。

 私も(か)氏も若干のADHD傾向があるので、当時の LINE のトークルームを見返してみると、話があっちへこっちへ飛びちらかしていて、「この人たち大丈夫だろうか」と我ながら心配になる。テーマが「片づけ」で決まりかけていたところへ、いま売れてるらしいと(か)氏が教えてくれた『「ADHD」の整理収納アドバイザーが自分の体験をふまえて教える! 「片づけられない……」をあきらめない!』のタイトルを見た瞬間、話題が「ADHD」に取って替わり、気づいたらなぜか次回のテーマが「ADHD」( ※ 第12回第13回)になっていたのは、いま思いかえしてもほんとうにポルナレフ状態である。打ち合わせでは、いつも二人でべろべろに酒を飲みながらこのようなかんじで何時間もあっちへこっちへ話題を飛ばしているのだが、数時間前に出た話題に奇跡的に舞い戻ったりすることもあるので、打ち合わせというかあれはなんだろう? 寄せてはかえす泥?

「ADHD」の整理収納アドバイザーが自分の体験をふまえて教える! 「片づけられない……」をあきらめない!

「ADHD」の整理収納アドバイザーが自分の体験をふまえて教える!「片づけられない……」をあきらめない!』
西原三葉
主婦と生活社

 そんなわけで、寄せてはかえす泥のように今回のテーマは「片づけ」である。

 前回まで書いたとおり、ADHD傾向のある私は長いあいだ片づけが苦手だった。「片づけられない」という状態をどうにかしたいと思うあまり、生活雑誌の収納特集や流行りの片づけ本など、片っぱしから目を通してきた。ミニマリズムの本だってこれまで何冊読んだことかわからない。(か)氏から送られてきたおすすめの片づけ本リストのほとんどが既読だったことにも驚いたが、そのわりにこのていたらくかということにはもっと驚いた。

 片づけ本に書かれているアイディアを生活に取り入れ、あれこれ実践してみるにはみるのだけど、どれも長続きせずに終わってしまったり、気づいたら仕切りなど無視してぐちゃぐちゃという状態になっていたりするのだ。目に見えないところが多少ぐちゃぐちゃでも、なにがどこに収納されているのかなんとなく把握できてさえいれば問題ないと考えているようなところがある。押し入れに死体が突っ込まれていたところでだれにもバレなければ存在しないも同然。完全犯罪成立である。

 しかし、引っ越しの荷造りをしていたときに、流しの下から重曹が五袋出てきたときはさすがにぞっとした。ほかに、クエン酸と酸素系漂白剤も三袋ずつあった。そこまでか。そこまでナチュラルクリーニングにこだわるか。ちなみにだが、いまうちには綿棒のストックが五個、地域指定ごみ袋が可燃、資源、不燃それぞれ五パックずつある。いずれも引っ越してから溜めこんだものである。

 一年着なかった服は処分する、ものを持ちすぎない、ゆとりをもって収納する、ものの定位置を決める、使ったら元に戻す等々、片づけ本に書かれていることはだいたい同じである。あまりにも耳タコ状態だから、「はい、また出たおなじみのー」「それができたら苦労しないって」とうんざりしてつい読み飛ばしてしまう。散らかった部屋をどうにかしたくて片づけ本を手に取っているのに、こんな態度でいたらいつまで経っても片づかないのは当然である。

 そこで、最初に(か)氏がおすすめしてきた『「ADHD」の整理収納アドバイザーが自分の体験をふまえて教える! 「片づけられない……」をあきらめない!』を読んでみることにしたのだが、正直なところそんなに期待はしていなかった。ADHDがどうとか書かれてるけどどうせまた同じことが書かれてるんでしょ〜〜〜? ケッ! 俺は不良だよ! と億泰おくやすのようになめた態度で読みはじめてみたところ、「『ADHDの整理収納アドバイザー』をわざわざ指名する人の共通点」の第一項目に「片づけ本をたくさん持っているのに、いっこうにやる気が起きない」とあって、きゃっと悲鳴をあげてしまった。やだ、私のこと見てたの……?

 著者の西原三葉さんによると、「片づけ本はあまた出ているけれど、ADHDタイプの方に参考になるものはなかなか見つからない」とのことで、これには「ですよね?!」と叫びそうになった。そんな気はしてたんだよ!

 ADHD当事者である著者の経験をもとに、ADHDの特性を考慮したうえで書かれた本書は、完璧を目指さずできることだけやればいいというスタンスが貫かれており、「片づけられない」ことを気に病んだりしなくて済むような思いやりに満ちている。なにより「捨てられないのであれば無理に捨てなくてもいい」と言ってくれるところが頼もしく、「捨てろ」と言われた瞬間、「え、やだ……」とたちまち心を閉ざしてしまう私のような人間の頑なな心をやさしく解きほぐしてくれるようだった。

 私だってほんとうはわかっているのだ。ものは少なければ少ないほど整理が楽だし、すっきりした暮らしができることぐらい。

 けれど、十年近く着ていなかった服がいきなり一軍に復活することだってあるし、十年近く積んであった本をいまさら読んで感銘を受けたりすることだってある。最近は初版部数がしぼられているから、すぐ絶版になり古本市場に出回らない可能性も高く、うかつに本を手離すこともできない。「シーズンごとに新しい服を着ればすてきな自分になれる」「必要になればまた買えばいい」的なことが片づけ本に書かれていたりすると、「エコって知ってる?」「石油王かよ?!」といやみの一つだって言いたくもなる。「捨てられない」には捨てられないなりの事情があるのに、それを十把一絡げに捨てろ捨てろってうるせえっつーんだよ! というか、仮にも整理収納アドバイザーを名乗るのであれば、ものが多くてもそれなりに整理して暮らす方法を伝授してくれてもよさそうなのに、捨てろ捨てろの一辺倒ってそれ整理収納アドバイザーっていうかただの捨てろbotじゃないんですかあー?

 ──と思って調べてみたところ、最近はミニマリズムへのバックラッシュでも起こっているのか、「捨てない」流派の片づけ本もいくつか出ているようで、何冊か読んでみたのだが「捨てない」を謳っておきながら、隙あらば言葉巧みにものを手離させようとしたりメルカリで売らせようとしたり寄付させようとしたりする「捨てない」詐欺が横行していた。「手離す」「売る」「譲る」と言い換えれば騙されると思った……?

 ちなみにここ数年、私の心をもっともときめかせた片づけ本というかおうち拝見本は宝島社から発売されたムック『捨てなくても大丈夫』である。同じく宝島社のムックで、タイトルに惹かれて購入した『捨てない暮らし』はダーニングや染色や金継ぎなど、ものを無駄にせず大切に使おうとするていねいな暮らし教本で、「捨てない」の方向性があまりにもちがっていた。

捨てなくても大丈夫

『捨てなくても大丈夫』(TJMOOK
宝島社

 それにしても、「片づけられない」という悩みを抱えてセミナーに参加したり、整理収納アドバイザーを頼ったりするのはどうして女性ばかりなんだろう。実際、セミナーに男性が参加するのはまれなことであると西原さんも著書の中で指摘している。私自身、「女のくせに片づけもできないなんて恥ずかしい」という感覚を内面化しており、そのせいで必死に片づけ本を読みあさっていたようなところがあるので、つくづく社会における男女の非対称性を思わずにはいられない(そのあたりについてはサリ・ソルデン著、ニキ・リンコ訳『片づけられない女たち』にくわしい)。


吉川トリコ(よしかわ・とりこ)

1977年生まれ。2004年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。2021年「流産あるあるすごく言いたい」(エッセイ集『おんなのじかん』所収)で第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞。22年『余命一年、男をかう』で第28回島清恋愛文学賞を受賞。2023年『あわのまにまに』で第5回ほんタメ文学賞あかりん部門大賞を受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『戦場のガールズライフ』『少女病』『ミドリのミ』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』シリーズ『夢で逢えたら』『流れる星をつかまえに』『コンビニエンス・ラブ』など多数。
Xアカウント @bonbontrico


 

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